咎める人が苦手

いつも五月蝿い自分のような者が言うと笑われそうだけれど、人を責めたり咎めたりすることも、咎めるのが好きな人を見るのも苦手だ。
いかに生きるかとか、物の見方、考え方を問うことは好き…というか考えずにいられない性質だし、自分だって、人の卑怯や傲慢にしょっちゅう腹を立てているのだが、本当はそれを認めて、ちょっと後ろめたそうに態度を軟化させてくれさえすれば、大抵のことならば許したくて堪らないのだ。そこを知らん顔で突っぱねる卑怯や厚顔にまた腹が立ってしまうのだ。
だから本当は、かさにかかって人を厳しく追求したり、責め立てたりする人のことも、よく自分にそんなに自信があるなと、その図々しさを苦手に思うことが多いのだ。
また、しばしばこの両者が、同一人物であるのが多い事実を、ここ数年の世相の混乱の中で目にしているので、本当にうんざりした気持ちになっている。
気が小さかったり、怠け者だったりして、人と争い続ける緊張感に耐えられないという、自分の情けない気質のせいもあると思う。何でもかんでもというわけにはいかないけれど、本当に心に引っ掛かることは、立ち止まってこのままでいいのか?と自分にも問い、何かはたらきかけるかどうか考えるべきだろうと思う。こんなことに迷いがちなのも、いろいろ自分のことが不如意で、中途半端に暇だからだろうとも思うが、現実は大抵はずみや成り行き次第とはいえ、自分らしくない振る舞いはすまいとは、心がけ続けていきたい。なかなか不正を憎めない自分らしくいきたい。