ネット世論と暮らしの保身は大抵ダブルスタンダード

目に見えやすい政治的な意見とか主張というのは、その時の気持ちの昂りから為されることが多い。そうした声の半面でシラフの時、一人一人は「それはそれとして」自分の生活や具体的な損得を考える。呼吸をするように無意識に、使いわけている。
加えて、同質性の高い僕らの社会では、人々はとても嫉妬深く、従って他人からの嫉妬を何よりも怖れる。金を持っていても、持っていないと言う。試験当日の会話と同じだ。真に受けてしまうお人好しは痛い目を見る。
だから、(特に政治的に民意を捉えようとする時)人々の昂った気分を把握しながらも、下半身のしたたかな実利の部分を直視していないと、感情的な観測によって事実を見誤る。
これは必ずしも悲観すべきことじゃない。気持ちの昂や希望的な観測で、簡単に動いてしまう人々や社会の方が、ずっと怖いとも言えるから(善意の過信ほど怖いものは無いとも思うから)。