独りを支えているもの

どこかがはっきりと具合が悪いわけでは無いのだが、何となく食欲もわかず、起き上がれないまま1日ウトウトしていた。
特に物語のない、物思いのように漠然とした夢を見ていた。
努力してそうしているわけではなく、気が付けば何十年も同じ本を読み続けて、同じ音楽を聴き続けている。
何か答えを求めているわけでは無いから、神との対話とまではいかないけれど、生身の友達との対人関係のように生々しくはないから、比較的おだやかに対話が続いて、付き合いの長さの分心の深いところでの関係になっている。
ずっと好きでい続けるというのは、ある意味では何かを信じていることと同じなのかもしれない。

年を重ねた友人たちが、みんな若い頃ほど元気が無くなって、反差別とか、反戦とか、反権力とか、大味で具体的に自分を律してくるものではないが、漠然としたイメージや気分として何となく自分の名刺になったり、他者と楽に共有出来るものによすがを求めるようになるのも、信じるものは無いが面倒を背負いたくはない、一人の頼りなさゆえなのだろう。
でも、自分は面倒な人間で、そうした大味なイメージへの不信が強い。それがどう可能なのか、そしてそれは必ずしもよいことなのかと、突き詰めて考えてしまう。
かといって、やはり何かを信じて自分を丸ごと預けるようなこともできない。
だから、半ば無意識に、本当に好きになり共に生きられる本や映画や音楽を、多少生きにくくなることがあっても突き詰める必要があったのだろうと思う。。