誰の為でもない


先日の亀田興毅の試合は結構な視聴率だったらしいけど、あのビッグマウスが引っかかってか、俺の周りには三兄弟苦手って人が多い。でも、それを言うなら辰吉あたりだってデビュー時から鼻っ柱の強さは相当だったし、こういうタイプは支持3反発7くらいの割合が調度良いというか、それで結果としてボクシングも世の中も盛り上がればOKなわけで、ここは俺も素直に楽しみたいところなんだけど...何故かもうひとつ乗り切れないんだなァ。
あの和製ヒップホップ風の打ち出しだとか、ハウンドドッグを熱唱しちゃうダサさ加減が駄目なのか。いや、決してそういう大味なヤンキーノリは嫌いじゃないハズなんだが... (とはいえ、辰吉って入場テーマも中期は『死亡遊戯』、負けが込みだしてからはシド・ビシャスの「マイウェイ」と、要所要所でセンス良かったんだよなァ... 今年は何と復帰戦準備中(!)らしいけど、個人的な希望としては、次は白竜歌う『十階のモスキート』のテーマ「誰の為でもない」で入場して欲しい。)




結局、TBSの仕掛けがあんまり露骨に早すぎて、シラケてるってだけなのか。
いや、仕掛けて盛り上げてくれるのは何にしろ結構なことで、ウルサイ野暮を言いたくはないんだけど、要は「まだ本当に強いヤツとはやってないじゃないの(この間の、攻めあぐねてのローブローにしろ...)」ってことに尽きるんだろうな。あの鼻っぱしらが折られちゃった時にどうなるかってところに、やはりいちばん興味がある。
負けてザマアミロって思いたいわけじゃないし、あのままガンガン勝ちまくって、調子こきがズッコケるのを内心心待ちにしてる無責任な「こちら側」の鼻を開かしてくれるのも大歓迎だが、どちらにしろまだ評価云々を言うには早いし、結局本当は「まだはじまってねえよ」ってことなんだな。


あと、これも彼らには何の責任もないことだけど、「三兄弟」って括りがね...どうにも「お茶の間」の匂いがしてしまうんだ。ボクシングはどこまでいっても、野球やサッカーやオリンピックとは違う、どこか埒を外れた個人の匂いがしなきゃ嫌だってのが、今でも俺にはあるんだ。
ハズレ者が、ハズレ者って定位置で消費されるのでもなく、安全な形で世間に受け入れられるのでもなく、禍々しい在り方によってそのまま世間を圧倒する瞬間。それさえあれば、そいつのその後がどんなに悲惨だっていい。そういう特別なものをボクシングには求めてしまう(俺が『キッズリターン』って映画を好きなのは、若者がずるい大人だの世間だのに負けるんじゃなくて、マサルがシンジに打ちのめされるスパーリングシーンに集約されてるような、絶対的な自分の才能の不足や、無意識の才能だけで凌いでたシンジがモロ師岡の甘い腐りに容易に感染してダメになっちゃうような、普段はセーフティーネットに隠れて直面を避けられている「誰のせいでもない残酷さ」がしっかり浮き彫りにされ、しかもそれに対する甘えも言い訳もまったく入り込んでいない姿勢ゆえなんだ)。
ガキの頃『あしたのジョー』読みすぎたのかもしれないけど、ついこの間に辰吉って前例もしっかりあるんだし、彼らもそれぞれがとことん突き抜けて欲しいと期待してやまない。

BOXER JOE [VHS]

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