土曜ドラマ『ハゲタカ』


半分仕事の都合もあって、今期はリメイク物を中心に結構ドラマを観ている。
ただやはりというか、手ごたえはかなり残念な感じ。


まず、鳴り物入りの大作らしく、あちこちで色々突っ込まれながらも一応視聴率は安定しているらしい『華麗なる一族』。
正直、昭和42年という設定のドラマで、終戦直後の風景(というより、エキストラが中国人にしか見えない)の中を、ポケットに手を突っ込んでロンゲでボソボソしゃべるキムタクが歩くという、時代感覚の不条理具合に、初回から腰がくだけた。こうした細かいツッコミを、得意になって並べるようなことは嫌いなんだが、俺の世代でさえ「えッ?」って思うほどの違和感だから(だって当時は昭和元禄、GSブームに突入しようかって頃だよ...)、ドラマのメインターゲットであるお茶の間のお父さん、お母さんの目には相当ヘンテコに映ってたんじゃないか。一口に「昭和回顧」といっても、戦後だけで40年以上あるんだからさ...


山本薩夫による旧作の映画は「金持ちのハラワタはこんなに腐ってまっせー」とばかりに、同族企業の下半身スキャンダルや政財界の杯外交をエグくエグく描いて、佐分利信京マチ子田宮二郎ら、クセモノ達の因業芝居博覧会状態だったけど、今作るなら彼らを悪者視するよりも、時代に翻弄される人々の葛藤に重心を置き、キムタク演ずる鉄鋼技術者の息子の方をヒロイックに描く方が妥当というのが、製作サイドの意図だったらしい。
それ自体は自分も同意できるし、実際『フラガール』とか『セーラー服と機関銃』とか、いくつかの昭和回顧的な映画、ドラマも同様の視点で作られている。その中には成功作も失敗作もあるが、本作について言えば、製作者が時代そのものにはほとんど関心が無かったようで(コスプレものって所以外では)、展開が大掛かりな分だけ、ドラマそのものはハリボテになってしまっている。
何よりキムタク演じる主人公が単調な正義漢でしかなく、父親との対立と葛藤が、時代掛かった血の因縁や家父長制の不幸ってところに収斂してしまっているので、現在の我々と響き合うものが全く無くてツマラナイ。例えば、一代で会社を興した祖父と、金融業に転進し調整と拡大自体が目的になっていく父、そして再び製造業に情熱を傾ける息子というところに集中して、逆に二代目をゴッドファーザーのマイケルのように、ファミリーを守ろうとしながらいつかそれが形骸化した空洞になり、腐っていくというアングルでドラマを作った方が深みも出るし、バラバラな個々人が漠然と空虚を抱えて生きる現在に対して引っ掛かりもあったんじゃないだろうか(それでも、ゴッドファーザーの「イタリア移民」のような、はっきりした重石がないのが弱いと思うが)。
キムタクの製造業者としてのアイデンティティの描き方が、取ってつけたようにこれ見よがし、且つおざなりな人情芝居でしかないことが、このドラマの骨の無さを象徴している。


わるいやつら』はまだ飛び飛びにしか観ていないけど、清張作品の時代性を全部剥ぎ取って恋愛サスペンスに徹しようとしたが、箱庭サスペンスのスピード感で見せるには逆に力が入りすぎたのか、溜めが長すぎて停滞してしまい、箱庭の閉塞感が裏目に出た暗いドラマになってしまってる気がする。
倉本聡の『拝啓 父上様』にいたっては、猫と喫茶店と古い街並み大好きな文系女子っぽいポエムジジイの浮世離れした感傷に、「いい気なもんだね」って以上の感想が出てこない(それでも、独りよがりな悲壮感と説教が少なめなだけ、近作の中ではまだマシ...)。




そんな中で「おっ!」と思ったのが、肺ガンから復帰した柴田恭兵目当てに何となく観た、NHK土曜ドラマ『ハゲタカ』。これはリメイクじゃない完全新作だけど、ちょっと往年の和田勉のアグレッシブな社会派(!?)ドラマを思い出させるような、骨太なテイストを感じる。
撮影に入ってから恭兵の病気がわかったために放映予定がかなりずれこんで、「ハゲタカファンド」騒ぎからちょっと間が開いてしまったけれど、奇しくも昨日はホリエに有罪判決が下った。彼らは新自由主義の尖兵として突っ走り、祭り上げられた揚げ句に切り捨てられたが、実生活での感覚や物の値打ちと、情報として濁流のように飛び交うイメージや概念との落差が、極端に解離している根っこの状況は何も変わっていない。経済についての細かいことは判らなくても、この根っこの状況を推し進めようとする者、反発、抵抗しようとする者、そして、どちらにしろ時流の趨勢次第で波乗りしようとする者それぞれの立場が、動機や背景込みでよく整理されているので、現実における成否はともかく、彼らのドラマそのものにはしっかり感情移入できる。


柴田恭兵は大手銀行の行員。彼の部下の大森南朋は、とある小さな町工場を担当していたが、銀行の貸し渋りのために工場は倒産。大森が敬愛していた工場主は自殺してしまう。
大森はアメリカに渡り、数年後外資系ファンドの尖兵となって帰ってくる。そして、日本的な世間での既得権者や、そのぬるま湯に埋没している(かつての自分を含めた)「甘ちゃん共」に復讐するように、首の回らなくなったバブル成金や、親族による放漫経営で破綻寸前の企業を次々に食っていく。恭兵は会社建て直しのための出向行員として両者の板ばさみになりながら、会社や従業員本意の着地点を探そうとするが、銀行と経営者の癒着や不正とぶつかり、遂に銀行を辞める。
そんな彼に対する上司の中尾彬のセリフ、「かっこいいな。おまえはいつもかっこいい。だから駄目なんだ」
うまく齢をとれない恭兵の容貌(しかもガン手術の予後ということもあってか、肌は痛み、ガリガリに痩せて、声にも張りがない)もあいまって、『チ・ン・ピ・ラ』世代http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/comment?date=20060505#cの自分にはかなり痛烈に響く。自分は観はじめたのがこのセリフの出た3話からだったので、中尾の演じる上司の人物像がどう描かれてきたのかはわからないが、ホームページの解説には「躍進期も冬の時代も常に銀行組織を支え続けた、旧き良き日本経済の象徴であり、極めて日本的な策士である」とある。
大森は、「あなたが目指すものは、僕と同じはずだ」と、恭兵を誘う。


次に大森が目をつけるのが、日本型の終身雇用経営で行き詰った大手家電メーカー。
「企業は株主のものだということを、お忘れじゃないですか?」と言い切る大森の前に立ちはだかるのが、戦後小さなレンズ工場からはじめて、一代で会社を築きあげた(松下幸之助がモデルとおぼしき)会長の菅原文太
企業再生家として、会社再生のためにギリギリのリストラを進言する恭兵に、文太は言う。
「一人前にレンズを磨けるようになるまで、何年かかると思う?30年だ」
「会社は人だ。目先の利益じゃなく、長い目で将来を見て、考えて欲しい」
彼はガンで余命いくばくも無いが、漠然とした善意だけで哲学の無い恭兵と、合理性を唯一の価値とする大森を圧倒する。
しかし、数十年間レンズを磨き続けた熟練の職人が、リストラに動揺して仕事に手が付かない社員たちを冷ややかに見ている描写など、必ずしも家族的経営が肯定的に描かれているだけでもない。


かつての情念型ヒーロー役者の常というか、齢のとり方が鈍重で、しかも最近は好々爺っぽくなりすぎて見えてた文太だけれど、今回は根の上品さと頑固さが良い形ではまって、なかなか不敵な存在感。
他の役者も、能面芝居の大森や、いつもの「リトル中島ゆたか」なキャラを捨てて、ひっつめ髪で純情ジャーナリストを演じている栗山千明など、手放しに好演と呼べるかどうかは微妙ながら、それぞれに引っ掛かりのある配役になっている。


今日放映の第5回では、松田龍平演じる大森の更に下の世代の、ITあがりの投資家も登場。
会社再生といっても、永遠の右肩上がりなどあり得ない以上、製造業者の心意気だけでこのまま綺麗にケリはつきそうもない。
現実を裁断したり、今後を占ったりということは、このドラマの役割ではないと思うけれど、誰もが失敗しないこと、恥ずかしくならないことそれ自体に完結して、状況に触ろうとしない現在(ホント、これが70年代の東映だったら、すぐ『実録村上ファンド』とか作ってたハズ)、骨太なテーマに正面から向き合おうとするこのドラマが、未来に対して何を言おうとするのかを、ちょっと楽しみにしている。