個人という欺瞞

戦争中だって、一人一人を息苦しくさせていたのは、国とか軍隊とかいった遠く抽象的な権力よりも、まず隣近所のおじさん、おばさんであり、学校の先生や上司であり、同僚や級友たちからの非難、否定、蔑みの視線だっただろう。
それは、現在の自分にとってもまっく変わらない。いや、現在に限らず、いつだってずっとだ。
そしてそれを救うものもまた、そうした世間の皆の空気に捕らわれない誰かの善意だ。しかし、そんな生きる支えを遠ざけられるような強さは、どんな時代も変わらず、容易く期待できるようなことじゃない。
誰だってよく知っているこの事実、自分自身の生き方を、誰もが認められない。

 

これを認める謙虚さと、似たような相手を許す優しさ、そして少しでも自分を越えたいと願う姿勢が持てたなら、どれだけ生きやすくなることかと思うのだが…。