2010年 私的ベストテン

bakuhatugoro2010-12-31


毎年の恒例になっている、備忘録兼ねた私的オールジャンルベストテン。
コメントが途中ですが、残りは後ほど。


1位 『河童のクゥと夏休み
今年公開の『カラフル』が好印象(特に、取り巻く日常の風景含めた地味な中学生男子2人の友情の描写が)だったので、公開時スルーしてしまっていた本作を改めてDVD観賞。
正直、原恵一監督とは出会いが良くなかった。『クレヨンしんちゃん モーレツ!嵐を呼ぶオトナ帝国の逆襲』への、万博世代による手前味噌気味な過剰評価(半端に自己反省を装った世代的慣れ合いと、自分には映った)に微妙な反発があって、何となく遠ざけてしまっていた。つまらん雑音と予断に振り回されがちな己の小人ぶりを猛省します。
異った生き方や文化背景を持つ河童の子供(おそらく最後の生き残り)との出会いを通して、空気のように馴染み染まるだけの世間ではなく、互いの距離を含めて認め合う一対一の友情を知る物語。
生き物としての異形ぶり(他者性)が強調されたデザインのクゥは、自然や他者に逆らっていたずらにエゴの拡張を目指すのではなく、謙虚な折り目正しさで身を節する、小さな島国で肩を寄せ合って生きてきた「かつての日本のお百姓さん」の、良い部分の隠喩でもある。
クゥとの無言の対比の中で、そこから遠く離れ、文明の助けによって個人的、抽象的に生き、かといって相変わらず自立も出来ず空気のような世間を求める現代を浮かび上がらせ、時に怒りや苛立ちを滲ませながらも、そこに首まで浸かった自分や隣人を否定もせず、その距離を引き受ける。作風は全然違うけれど、理想を見つめながら、自分達の現実をしっかりと踏まえた綱引きの緊張感に、4位の『キック・アス』とも近いものを感じる。
『オトナ帝国』に比べて、「懐かしさ」の対象も、現在に対する苦い認識も、格段に具体的に掘り下げられ、深まった。
それはテーマや物語の扱いだけでなく、一つ一つの描写に、本当に繊細な節度が行きわたっている(他人の目を気にしてなかなか自由になれない一人一人の気弱さを誤魔化さない姿勢や、主人公たちの恋愛以前の淡い恋愛の、別れ際に握手さえできない、ぎこちなくそっけない初々しさなど)。
ラストのクゥのセリフと、風が吹いて頬に一筋涙が伝うカットには、久し振りに映画を観て「魂抜かれる」思いがした。


アニメ映画、オールタイムベスト1。
原恵一監督は、『赤灯えれじい』『ケッチン』のきらたかしと並んで、虚勢や勇み足を感じさせない視線の重心の低さに畏怖を感じる、自分が同時代で最も注目する作家になった。


2位『息もできない』
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20100324
DVD特典映像のヤン・イクチュンインタビュー、陽性の語りの中にも強いパッションが伺えて凄く魅力的だった。過去の体験にまつわる複雑な思いを形にし吐きだしきった充実感と、今後目指すべき幸福像を語ろうとした途端焦点がぼやけてしまう、彼の現在のリアリティが伝わる。
「役者だけでは、自分を吐きだす通路に成り得なかった」
「みなさんも、社会に対して健全に毒を吐いてください」
けれど今後は、彼が目指す幸福にある醜さ、或いは彼を苦しめてきたものの中にある美点にも気付かざるを得ないはず。きっと混乱もするだろうけれど、良い未来を祈らずにいられない。
ヤン・イクチュンに中上健次を読ませたい気持ち。『枯木灘』の先には、宿命的に『地の果て至上の時』の混乱が待っているから。


3位『ヒーローショー』
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20100629#p2


4位『キック・アス
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20101225


5位『日本の悲劇』
原恵一監督のルーツとして興味を惹かれなければ、なかなか改めて観返そうと思わなかっただろう木下恵介監督作品。
昭和28年当時の新聞記事や記録映像が随所に挟まれ、当時の人々の貧しさ故の余裕のなさと、ガリガリ亡者ぶりが強調される。映画には、そこから生じた不幸への激しい怒りが漲っているけれど、状況に対する告発やメッセージに映画が収斂するわけでもない。
女手一つでヤミ屋や酒場の女中をしながら、必死に子供二人を育てた母親。一方母親の酔態、媚態を間近に見、貧乏故に軽んじられながら歯を食いしばって来た子供たちは、彼女のことを軽蔑している。子供だけをよすがにやってきた母の執着が、子の嫌悪にまた拍車をかける。

人々の酷薄と悲劇を強調しながら、同時に誰が悪いという描き方でもない。にも拘わらず、明らかにフィルムには怒りが漲っている。寓話として括弧に括れず、かと言って同時代を肌で体感しているわけではないから、距離の取り方が難しく観ていてとても疲れる。

ラストの田浦正巳のクールなセリフに象徴的なように、敗戦を境に過去を捨て、遮二無二アメリカ式合理主義に開き直ろうとする当時の日本に「悲劇」を観ているようでもあるが、母親に親切にされ、シンパシーもあったはずのギター弾きが、貰った金をすぐ呑んでしまっていたり、人の普遍的な弱さ、だらしなさ、欲深さといった根本的な業を、哀しみつつ共感し、主人公と共に路地裏で泣く映画だとも感じた。人の世は「そういうもの」だとしても、敢えてたまたま零れ落ちた人の方に、焦点を当てようとするように。

しかしある意味、あそこまで負の条件がはっきりあるわけではない現在の方が、過去や遠方の絆よりも、目の前の状況や豊かさを結局取ってしまう人の業は、より露わになっているとも言える。だが、この時点では、少なくともこの映画と制作者たちは、そのことをもっと激しく哀しみ、ストレートに怒っている。映画としての穏当なバランスや完成度を犠牲にしても、そこを強調している。
僕らは自分達の業に生ぬるく慣れ、すでに肯定してしまっているから、その激しさが時に素朴で大仰に感じられたり、けれど蓋をしているいるものを露わにされて戸惑ったりもする。
僕らがこれから徐々に豊かさを失っていく時、この映画のようではありたくないなと思うが、「零れる者」に共感すること危うさ、難しさは、本当は昔も今も変わらない。そして、そんな互いを信頼するためのよすがは、便利と自由と快楽の追求の代償として、実は当時以上に破壊され続けている。
ひたすら「何も失うまい」とすれば、正直に身動きが取れなくなってしまうか、自己正当化の嘘を重ねることになってしまいそうだ。


6位『沓掛時次郎』 小林まこと


7位『おじさんはなぜ時代小説が好きか』 関川夏央


8・9・10位(順不同)
『天才 勝新太郎』 春日太一


『日本映画[監督・俳優]論』 萩原健一 スガ秀実


『ガキ以上、愚連隊未満。』井筒和幸
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20100629#p3