最後に残るものは何処へ行くのか(Twitterの会話から)

https://bakuhatugoro.hatenadiary.org/entry/2022/12/16/114935で書いた民主主義とか人権というのはあくまで一つの例で、現実というのは実際には二択問題のように選択肢が提示されていて、それにマルバツで答えればいいという形にはなっていないですよね(むしろ、いろんな人が無数に提示する二択問題を老いきれず大味に処理したり、追うことに夢中になったり途方に暮れたりしているうちに、本質的なことも、具体的なことも、曖昧に先送りされているというのが現状だと思います)。
何かを良いということは、裏生地の部分では何かを悪いと言っていることでもあって、そこで切り捨てられているものを、やむを得ないと言っていいのかどうか。具体的な場所では、そんなこととんでもない、許せないと切実に思う人も必ずいる。
そういうことに、どう向き合えばいいのか、どう生きていけばいいのかというのが、一人一人にとっては肝心なことだと思うんです。
しかし、地上の利害の調停である政治では、この問題は決して解決できない。必ず誰かには大切なことも切り捨てられる。
では、それはどこへ行くのかということなんです。それに何が応えるのか。誰が応えるのか。
納得できないことにどう向き合うのか。