或る冬の日

午後から歯医者に通院。いきなり親知らずを抜くことに。既に二本抜いていて、痛みが無いことは知っていたので緊張はしなかったが、麻酔が切れて多少腫れぼったくジクジクしている。
それよりも寒くなってきたせいか、鬱というほど大袈裟では無いのだけれど、特に理由もなく電話やメールが億劫になったり、疲れて横になると起きあがるのがどうしても嫌になったり、自分の操縦が厄介でちょっと困っている。
こういう時、自分には俄かに判断が付きかねるような遠い他人の苦痛が深刻に叫ばれているのが目に入ってくると、こっちのことはいつも一切無関心で捨て置かれているのに、何故まるで関知していないことに色々連帯責任を問われなきゃならないのかと、ちょっと被害妄想的になって、一切のことに関わり合うのが面倒な気分に沈み、周囲すべてが遠い他人事のように思えてくる。
知っておくべき自分にとっても共通の課題もあるのだろうけれども、そのすべてに関心を持てるわけでなく、一つ一つに俄かに解決がつくわけではないし、本当は解決があるのかもわからないのだから、そのあたりもう少し、受け取る者のキャパシティの限度を考えた伝え方をしてくれればと思う。深刻度を考える時の沸点が、各々低くなり過ぎているのではないだろうか。
これでは結局何につけいつものように、大味な常套句だけがうすっぺらに定着、画一的で偏った価値観に世の中ぐるみではまり、身にしみることもなく世の中ぐるみ飽きて忘れるという、上滑りを繰り返すだけではないか。