『二十四の瞳』(54年 監督 木下恵介)

いつものことではあるけれど、優柔不断で筆が遅いため、やり残しの宿題を気にするようにずっと心に引っかかっているうちに、目の前のことに集中できない時間が重なって、どんどん現実と意識がずれていく。
淀むのが嫌で、無理に押さえ込んで目の前のことにのめり込もうとすると、無意識に澱が溜まって、イライラが止まらなくなったりする。
結局何をしていても、こんなことをしている場合かと落ち着かず、実を結ばない。


地震の直後、変に浮き足立たずに日常を保ち、できるだけ普段通りのテンションの言動を維持したいと思った。
読者としての自分を考えても、有事に際して急に大袈裟な物言いで安っぽく反省を始めたり、露骨なポーズで目立とうとするタイプの作家は好きじゃない。むしろ、何があろうと我は我と、淡々と引き受けられるだけの自己限定の説得力を、今まで自分が少しでも重ねてこられたかが試される機会だと思った。
自分がここでいくら深刻がってみたところで、被災地で本当に辛い思いをしている人たちの、何の力になれるわけでもない。
放射能は不気味だけれど、地方にリスクを押し付けて(少なくとも暗に黙認して)、良いだけ豊かさと享楽に浸りきってきた自分たちが、突然声高に原発を批判するのはおこがましいという気持ちも大きい。
志ん生関東大震災の時、身の危険よりも何よりも酒瓶が割れるのを心配し、主人の逃げ出した酒屋で一人飲みまくっていたという話が好きで、自分もそんな極楽とんぼであれたらと思ったけれど、肝の小さな凡才にはとても無理で、せめて、お互い落ち着かない者同志、なるべく柔らかく振舞いたいと思った。


ただそれも、誰もが不安や被災地への心配を、多かれ少なかれ共有しているという無言の前提あってこそのツッパリで…。
計画停電の発表に右往左往し、節電を張り切り過ぎて風邪をひき、繰り返し放送される被災地の惨状に居たたまれなくなって募金や物資送付を焦っている時は、無力感の中にも、多少なりともみんなで危機を共有している(しようとしている)という錯覚なり気休めの中に居ることができていた。
まだまだ生々しい「喪失」と「茫然自失」の中で時が止まっている被災地と、そろそろ地震原発一色の日々に飽きて、自粛ムードへの反動が見え始めている関東以西の温度差が、徐々に目立ち始めると、別の不安定さが浮かび上がってくる。
「被災地の復興のためにも経済を廻せ」というけれど、自分の楽しみを全肯定しながら、被災地に対しても善であると信じられる(信じようとする)ことに、何とも言えない虫の良さを感じて居心地が悪い。
「頑張ろう」とか「私にできることはこれくらい(自分の頑張ってる姿で勇気づけること、とか)だけど…」といった言葉を耳にする時の、なんだかおこがましいような違和感がだんだん強くなってくる。


ツイッターで、津波放射能に見舞われた被災地から、東京に避難されている方のつぶやきを見かけた。
目の前で親しい人々もろとも、自分の町が丸ごと消えてしまったショックと、すっかり日常に戻っている東京での自分の現実がうまく繋がらず、申し訳ないと苦しまれていた。
こんなに遠くで放射能を怖がったりしている東京の僕らの呑気さへの呪詛を、そんなことを思ってしまう自己嫌悪と共に、苦しくつぶやかれたりもしていた。
結局、何年も何十年もかけて、ゆっくり記憶が薄らいでいくことを(そのことに苛立ちや後ろめたさを感じながら)、待つしかない種類の痛みだと思う。周囲が、必要以上に感傷的になっても、被災地の復興が早まるわけではないし、こんな痛みを共有することなど到底できない。ただ、「自分にできること」と安易に納得するよりも、何もできない無為無力を噛みしめることの方が重要な気がしている。
彼らと自分の距離を自覚しながら、それでも敢えて当たり前に声をかけ、出来得る限りの助力をし、付き合っていく意思を努めて表し続けるしかないと思う。


復興に向けての「頑張ろう!」にしても、例えば原発を止めるならば、かなりの経済の縮小を覚悟していかなければならない(自分の生活を無傷のまま守りながら、それを主張する事に対する、直感的な抵抗も拭えない)。その中で、貧困や格差は、今まで以上に大きくなりそうな予感もある。貧しさへの怯えや不便へのストレスからバランスを崩し、安易な頼りやはけ口を求めない強さと、「みんなでやっていく」心構えを作らなければと思う。




前置きが随分長くなってしまったが、そんな気分の中、震災以降どうも映画を観ていて集中できない。
特に70年代あたり以降から現在までの映画を、観る気になれない。
自粛とかそういうつもりは無いし、まして、個々の映画の価値や意味を丸ごと疑っているわけじゃない。
震災直後は、CSの予約録画が停電で飛ぶことをいじましく心配したり、被災地の若い人の、好きなアニメの最終回を見られなくて残念がってるつぶやきを目にして、勝手に共感したり、少し救われたような気持ちになったりもしていた。
辛い時、不安な時こそ、一瞬現実を忘れさせてくれる、娯楽の持つ力を再認識させられる光景にも出会った。
ただ、日が経つにつれて、「何かが足りない」という違和感が大きくなってくる。


ふと、山田太一が戦後のホームドラマの流れを論じる文章の中で、昭和27年の黒澤明『生きる』、28年の小津安二郎東京物語』、木下恵介『日本の悲劇』を、「共に子どもに親が見捨てられる物語」として並べていたことを思い出した。

戦前戦中の「国」と「家」の桎梏から解きはなたれた日本人が、活力の根拠地にしたのは、結局のところ「個」の発展であり、「個」以外のところへ軸が動くこと―つまり「個」の内面を抑えて「親孝行」というような規範に従うことには、強い警戒心があった。そして「個」の内面に従ったら、それほど親を愛していなかったということであり、生活の余裕のなさからそれが見苦しく露わになったことは不幸だが、その「個」の質は、戦争中に出征する息子を、どこまでも追い続けた母の「個」と、それほど遠いわけではないと思う。
だからといって、子どもたちの「エゴ」をただ肯定はできないが、その「エゴ」は、立場をかえれば親たちも持っているものであり、親たちだって戦後は「個」に集中するより他に、よりどころはなかったともいえるのではないだろうか?
上記三作品(「生きる」「東京物語」「日本の悲劇」)は、時には意図的な領域を超えて、露わになった「エゴ」の悲哀が映像に鮮やかに刻まれた傑作であった。
そして、日本人は当面の「エゴ」に従う以上の内発的活力を持たぬまま、働き口のある都市への集中化や住宅事情というような外在的な理由もあって、親を(つまり当面、エゴが必要としていないものを)切り捨てて行く。
(『逃げていく街』所収「残像のフィルム」)


また同時に、この三本を同時に観ると、同じ状況に対するそれぞれの作家の個性と態度の違いも、くっきりと浮かび上がってくる。
「無為に生きることは死んでいるのと同じだ」と言い切り、主人公の意志と行動を讃える『生きる』。
声高に状況を批判することはせず、「無常」に黙って耐える人々の哀感の方に意識してスポットを当て、控えめに、まさに日本的な調和の美しさの中に描いて見せた『東京物語』。
そして、戦後の貧困の中の荒みと、アメリカ流民主主義、個人主義が急激に浸透する思想的混乱の中で、自分の不幸の理由も分からず翻弄される人々の、やり場のない怒り、悲しみを露わにする『日本の悲劇』。
そしてその後、豊かさに向けて遮二無二走り続けた日本は、黒澤的な(つまり、欧米的な)姿勢を選び、美徳としていった。
半面、後者二つ、特に小津のような意識的な「保守」「ノスタルジー」ですらない、木下恵介の「涙」は捨てられ、忘れられて、いつのまにか豊かになった日本人の気持ちにそぐわなくなっていった。
勿論、戦後のそうした前進への意志と必死の営為を、単純に否定など出来るわけが無い。
自分にしても、特に若い頃は、戦って勝ち取るものの価値(あるいは、裏腹の挫折の哀しみ)といった、能動的、個人的なドラマが描かれないこれらの古い邦画を、退屈に感じていた。特に『二十四の瞳』は、ただ、天から降りかかった運命に泣くだけの話に思えて、安易で古臭く感じていた。
その割に高峰秀子演ずる大石先生が、特別いい人でも立派でもなく、むしろ愚痴っぽく、泣いてばかりいることを、何だかしみったれてるなと思ったりもした。


ところが、先週NHKBSで立て続けに放送された『東京物語』、それに木下の『二十四の瞳』は、違和や温度差をまったく感じさせることなく、今の自分の心境に驚く程ストレートに響いた。
特に『二十四の瞳』の、以前観た時との印象の違いの大きさに驚いた。
ありのままの、小さな人々の営みが、変わることの無い(そして今となっては失われてしまった)風景の中でゆったりと続いていく、以前はただ退屈に感じた見せ方が、今はまさに「これしかない」と思える。
敗戦から9年。ようやく差し迫った貧困が少し落ち着き、辛い過去を振り返る余裕が生まれた人々に、控えめな描写と静かなテンポ、そして懐かしい唱歌の調べが静かに沁み込んだように。


現在の状況に対して、「日本人は戦争や原発事故を、天災のように受け取っている」という揶揄の言葉をどこかで目にしたが、『二十四の瞳』も「感傷ばかりで日本人の加害者性が描かれていない」という批判にしばしば晒されてきた。
この批判には、自分も一理あると思う。我執を醜いと感じがちで、何かを粘って考え、意思を持つということがが苦手なことは、確かに僕らの弱点ではある。
そのことが、個々の責任を曖昧に、雰囲気に埋没して誤魔化し、逃げてしまう、後ろ向きな態度に繋がりがちなところも確かにある。
けれど、大石先生が家族や子どもたちに降りかかる運命を前に、ほとんど気休めくらいにしか何もできず、ただ涙を流したように、現実の根源的な理不尽と無情は、本当は今だって変わらない(豊かさの中で陰に隠れ、後回しになっていただけで)。
未来を切り開こうとする意志の力は大切だが、明るさを求め、信じようとするあまり、それを「無いこと」にしてしまうことも、それはそれで、謙虚さを失った傲慢な(そして、結果的に非寛容な)悪しき信仰のようになってしまっているところがあるように思える。
「ぶれない」とか「揺るぎない自分」とか、勇ましい言葉がどこか独りよがりな軽々しさで氾濫していることに、自省を欠いた誤魔化しを感じることも多い。
「それでも生きて行く」というよりも、「どうしようもない」「生きて行くしかない」状況の中、諦観を捨てると共に、共感の道筋を失ってしまった僕たちは、互いが繋がる方法を失くして、うそ寒く、上滑りになってしまっているところが無いだろうか。

何かもどかしさがあります。日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受け止めることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものに対していつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝きはじめ、今まで目を向けなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています。
山田太一による弔辞より抜粋)


僕には、それが今だという気がしてならない。


「弱い者」「辛い思いをしている者」の存在を杖にして、他人を恫喝、糾弾するようなことは慎まければならない。自分などにそんな資格があるはずもない。
「無傷な立ち場」というものは、あり得ない。叩いて埃の出ない人など居ない。
辛い時、人間の善意を期待し過ぎて、反動で厭世的になり過ぎたり、自他の中の根本的なエゴを認められなくなったりすることは、重々自省しなければならないとも思う。
ただ、「気にしない」方に開き直る個人主義、合理主義も、不人情を正当化するイデオロギーみたいで抵抗がある。
付き合いも、感傷も、自分たちには大切な人生の一部だ。



「美しい島の愛の物語」というコピーは誤り。「無常と諦念と涙の物語」が正解。

二十四の瞳』ラストシーン。晴れの日も嵐の日も、ただ毎日島の道を、自転車で通い続ける大石先生。

木下恵介『陸軍』のラストシーン。出征していく息子に追いすがる田中絹代