『銭ゲバ』と『ありふれた奇跡』(1)

最近には珍しく、今期は毎週楽しみに観るドラマが2つもあった。
既に何度かここでも触れている『銭ゲバ』と、山田太一最後の連ドラと言われている『ありふれた奇跡』。
銭ゲバ』が終盤に入って急に失速している一方で、序盤、展開らしい展開がほとんどなくてちょっと退屈していた『ありふれた奇跡』の方は尻上がりに面白くなってきた。


まず『銭ゲバ』。これは意見が分かれるところだと思うが、僕はミムラ演じる緑を引っ張りすぎてると思う。
微温的な環境と資質に恵まれて生きてきた「持てる者」であるせいで、自己肯定的(であることを意識するまでもない)な性善説によって、自分の理解をはみ出したものを無自覚に切り捨ててしまっている緑は、脚本の岡田恵和さん自身の立ち位置の投影でもあり、また現代の若い善意の視聴者一般の視点を仮託されてもいるのだろう。ドラマ版の『銭ゲバ』は、彼女にとって埒外の不幸や情念を銭ゲバから叩きつけられた緑の(つまりは、ジョージ秋山から叩きつけられた岡田さんや視聴者の)、「確かに私は世間知らずのお嬢様ですから、人に優しくしたいと思っても、それが相手を傷つけていたのかもしれない」と反省したり、あるいは「あなたに正論なんて何もないわ。まともに成長していないただの子供よ。自分の不幸を全部周りのせいにして、持っているものから奪えばいい。その為なら何でもする。そんなのケダモノ以下よ」と逆ギレしたりと揺れ動く、内心の振幅そのもののようにも見える。そして更に言うなら、彼女の内心のサイズに切り縮められた『銭ゲバ』に、僕は現在という時代の閉塞そのものを感じてしまう。
ドラマ版の銭ゲバは、折に触れて哀しい過去を回想しては涙を流す。銭ゲバを、よくあるサイコな猟奇犯罪者ではなく、元を正せば脆く柔らかい心を持った、血も涙もある人間として描き、受け手にしっかりと共感させようとする、製作者の姿勢には好感を持つ。それにともかくも、途中で良い話にまとめようとせず、ここまでギリギリまで銭ゲバの怒りと虚無に付き合い、際立たせようとしたことは、正直、当初の自分の予想を大きく超えていた。逆風をものともせずに、今、このタイミングにわざわざ『銭ゲバ』を復活させ、向き合い、世間に叩きつけようとした製作者の直感と実行力は、大きく評価されるべきだとも思う。
が、それでも尚と言うかだからこそ、彼があまりにも繊細に描かれすぎていること、つまり脚本家や視聴者にとっての理解の範疇に収められてしまっていることが、このドラマを小さく纏め、停滞させてしまっているだけでなく、原作の根本的なテーマを裏切ってしまっているのではないかと感じる。


原作の銭ゲバは、とにかく前に進むために殺して、殺して、殺しまくり、自分を傷つけてきた悪罵を他人に投げつけ暴力を振るい、他にどうしようもないかのように稼ぎに稼いだ。物語は乱暴にどんどん進んで行き、進めば進むほど逆に単調になり、それでも銭ゲバは生き方を変えることなく、ただ片目から涙を流す。
こういう、一人一人の人間が持つ少しずつの「業」が、誰かの上に極相として現われたような場面に触れた時、口に出来るどんな言葉があるだろう?
緑が反省しようが逆ギレしようが、そんな内心なんかどうだっていいし、むしろ無感動に強姦殺人でもされてしまう小エピソードとして簡単に処理され、相対化されてしまうべきだった。あるいは原作のように、結局銭ゲバの力の前に何も出来ず、むしろ彼の力をずるずると当てにしながらそれを認めようとしない、弱さとずうずうしさとを炙り出されるべきだった(そうした己のキャパシティの限界を認めない傲慢こそが、現在の閉塞の一つの正体だと僕は思う)。
このままだとドラマ版は、僕らが銭ゲバを理解し受け入れてやるための物語として終わってしまいそうだが、本当は、彼を遠ざけ、無関係を装っている(ことすら忘れている)内心を冷たく見つめ、試し、つき放す彼の視線そのものとして突きつけられるのでなければ、『銭ゲバ』が『銭ゲバ』である意味が無い。
そして、それを突きつけられても尚、僕らは自身の酷薄に居直り、あるいは目を瞑って生きていく(そういう意味では、ドラマ版では、銭ゲバの悪事を知りながらちゃっかり働き続けて儲けは取り、彼の自滅が近づけば、さっさと屋敷を去ろうとしているお手伝いのはるちゃんの存在は、庶民の逞しさと酷薄が平熱で表現されていて、ちょっと良いと思った)。
少なくとも、あの原作のラストは、僕らにそうした原罪を刻み付けることを意図して描かれたはずだ。


このことの意味を際立たせるためにも、原作で最終的な敵として登場した、「老成した銭ゲバ」とでも言うべき政界を操る土建屋社長には、是非とも登場して欲しかった(ただ、演じる役者がまったく思い当たらない。もうちょっと若ければ三國連太郎あたりが良かったんだが)。
彼は銭ゲバに向かって、「あんさんは自分を悪人だと思ってるんでっしゃろ。わてはそんなこと思いまへん。わては自分はええひとだと思っちょります。策をもちいて銭をつかうのは政治力でおます。これができなんだら男はだめでおます」と言い放つ。銭ゲバが最終的に彼に勝つためには、彼も人間の弱さやずうずうしさとの折り合いをつけて、合理的、功利的なバランスを身につけるしかない。真に勝つこと、成功することを目的にするならば。
けれどそれは、少なくとも銭ゲバにとっては面白くもおかしくもない生き方だろう。そこには、「人間への復讐」とか「世界と俺との勝負」といったロマンティックな構図は成立しようがない(これは、矢吹丈の最終的な敵が、ただパーフェクトなだけで、面白くもおかしくもないホセ・メンドーサだったことと同じ構図だ)。
ジョーは真っ白に燃え尽き、銭ゲバは自決したけれど、現在の僕らは葛藤や挫折を経るまでもなく、土建屋の言う正しすぎる言葉に、はじめから結構容易く頷けてしまう。
しかし多くの人間は、功利と合理のみに満足できるほど強くは無い。だから土建屋は、大きなものからの許しを求めて聖書を読んでいたりもするのだが、現在の僕らは、消費文化が与えてくれる粉飾によって、自分をはっきり俗物と意識するほど認識を突き詰めずに済んでいる。だから、真に虚しさを受け止め、それを超えていこうとする営為が生まれないし、根本のところでの不信や孤独は放置されることになる。


http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20090324
に続く。



●追記


銭ゲバ』最終回、残念ながら自分としては、上の感想に付け加える所はなかった。
とりあえず、死んだ風太郎にみんなが見張られてるって構図にはしてあったけれど、この環境を放置するなら第二第三の銭ゲバが出て来るぞってニュアンスで、人間そのものへ懐疑とか呪詛が欠けている。
「「普通の人たち」の生活が脅かされていることが銭ゲバを生んでいる」って角度は、現在の状況に刺さりやすいと思うし(風太郎が最後に見た走馬灯は、総中流幻想が生きていた頃の、最大公約数的な幸福像そのものだ)、一方に「人間とは何か」なんて問いを考えてる余裕は今は無いよって気分もあると思うが、やはり「銭ゲバ」である限りは、「腹が満たされても解決しない人の業」を突き詰めて、受け手自身をひん剥いてくれなきゃ満足出来ない。それを直視して、心底うんざりもしなければ、その上でいかに生きていくかって問いにも、筋金が入らないと思う。
ジョージ秋山自身は、今や銭ゲバで呪詛し、ひん剥き切り捨てた卑小で汚い人間を、そのまま「捨てがたき人々」として延延付きあうっていう、コクあり過ぎな境地に至ってるわけだから。


以下、mixiの方に貰った、葦原骸吉君http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/からの興味深いコメントを転載。

> しかし多くの人間は、功利と合理のみに満足できるほど強くは無い。

本当はそうじゃなきゃおかしいとは思うんだが、今の日本人の多くは「他の連中も自分と同じように金も地位も欲しいと思ってるだろ」って具合に、みんなもそうだから自分も免罪されると思ってんじゃないか。


原作の銭ゲバは、エゴイズムを徹底するため保身的妥協をしないという点で純粋だが、現実の人間の多くは周囲を調子に合わせて生きながら、自分の欲・悪を自覚せずに済ませてる。


銭ゲバの原作が描かれた当時は、実際に虐げられる貧乏人というものがゴロゴロしたし、分不相応な成り上がりを相互監視する世間の目ってのも生きてたんじゃないかと思うが、日本はバブルを経由したところで、皆が自分の欲望を追求することを恥じなくなった。


この点、日本以上に自由競争成り上がり万歳の国であるアメリカは、一面では日本よりもっとひどいんだが、また一面では、銭ゲバ原作版の土建屋政治家みたいな儲けすぎた人間は恨まれるのを恐れるとともに「富者の義務」という価値観があるため、ロックフェラーもカーネギーも儲けた金で慈善事業やらをやるという文化が一応ある、現代ではビル・ゲイツまで同様らしい。


いまの日本は明確な強者がはっきりしない代わりに強者の節度や義務もなく、ゆえに自覚のない傲慢が蔓延するのか。

これは本当にその通りだと思った。
大衆にかせや怯えがなくなって、誰もがチープに土建屋的な価値観に乗っかるようになった一方で、コクのある巨悪も無くなった。
だから、あの土建屋社長を今出すっていうのは、やっぱり無理なんだろうね。演じる役者が思いつかないってことに象徴的なように。
ただ、ここに来て、バブルに支えられてた大衆的な快楽主義、個人主義の梯子が外されたからこその『銭ゲバ』だと思ったんだが、まだまだ先は長そうだ。

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)