山田太一『遠まわりの雨』

bakuhatugoro2011-02-27



昨年3月に放映された山田太一最新の単発ドラマ『遠まわりの雨』を観た。


蒲田で町工場を経営している岸谷五朗夏川結衣の夫婦。
岸谷は手仕事で金属を自在に加工できる、ヘラ絞りの優秀な職人だが、製造業の衰退で工場はギリギリの経営状態。
そんな時、海外から発注を受ける。これで何とか持ち直すかもしれない。
しかし、喜んだ矢先、岸谷は脳卒中で倒れてしまう。


切羽詰まった夏川は、20年前この工場で岸谷と共に職人をしていた渡辺謙に助けを求める。
彼はかつて岸谷以上の腕を持ち、夏川が結婚する前彼女の恋人でもあった。そこに岸谷が割り込んだ。
結局夏川は、工場の跡取りだった岸谷を選び、渡辺は黙って工場を去った。
渡辺は前橋に移り、へら絞りを続けていたが会社が倒産。お情けで系列のホームセンターに雇われ、慣れない販売をしている。
彼の虚しさを反映してか、家庭も冷えている。
一度は「そんな余裕ない」と断るが、後日、彼は蒲田にやって来る。


夏川と渡辺は、何度か焼けぼっくいに火がつきそうになる。
無理を押して来てくれた彼への感謝の気持ちなのか、それとも互いに下心もあったのか。
本人の中でも不分明。あるいは、どちらでもある。
そんな、どうとでも転がる曖昧さを、いつもギリギリの所で押しとどめるのは、渡辺が口にする「それじゃあ、あんまりだ」。


渡辺と岸谷の再会のシーンが良かった。
旧友であり、仕事でも恋でもライバルだった二人を、ドロドロとさせようとすれば、いくらでもそう描ける。
意地も緊張も無いわけがないし、背景にそれはしっかりと匂わせてもある。
けれど再会した彼らは、拘りない笑顔で笑いあう。


ところが彼は結局、頼りにされていた職人仕事でさえ、若い工員のコンピューター作業に負けてしまう。


腕利きでありながら職を失い、意に染まない生き方をしている渡辺謙をはじめ、良くも悪くもフラットに緩んだ世界で、立ち場と共に誇りや生き甲斐を失っている登場人物たち。
自分を律する支えとなるだけの背景と甲斐を失っている彼だが、だからといって、そんな現在を全否定してしまうほど子供ではないし、冷えているとはいえ、守るべき家族との暮らしも引きずっている。


山田太一は、そうした彼らの揺らぎや欲望を否定して、耐える「古風な男の子」を、ヒロイックに(或いは悲劇的に)描くことはしない。
彼らを、欲望や揺らぎを抱える、弱く生々しい人間として描き、けれどそれを剥きだしにしたり、ずるずると崩れて行く彼らを描くこともしない。
意気地が無いと自分を笑いながら、それでも「それじゃあ、あんまりだ」と、踏みとどまる。


そんな二人に(或いは、同様の現在を生きる視聴者に)、最後の最後、山田太一はささやかな「劇的瞬間」をプレゼントする(そして、これこそが、山田太一が信じ、人生を賭けて追ってきた、ささやかな「ドラマの力」だろう)。
渡辺謙は、それが「今だけ(の演技)」であることを知りつつ、感極まって夏川に「行くな!」と叫ぶ。
見事に演じきり、夏川もそれを涙を流しながら受け止め、二人は劇的な瞬間を完成させる。
(すべてが終わって「今だけだ」と呟く渡辺に、「いい大人が、しょっちゅうやられちゃたまらないよ!」とつっこむ、駅員の柳沢慎吾ちゃんも良い)
渡辺謙には具体的な何ものも残らなかったけれど、ラストシーンの彼は微笑んでいる。

山田太一は、一貫して日常を描きながら、それを逸脱し揺さぶる個人的欲望と、その結果決して幸福になれるわけでもない彼らの右往左往を見つめ、受け止めてきた。その間、日常はどんどん散文的になり、自由(或いはだらしなさ)は拡大し、彼らはどんどん淋しげになった。
彼はそのことに良い、悪いを言わない。「これが現実だ」と主張もしない。
進行形の現在を生きる彼らが孕む危うさと、恥ずかしい揺れに踏み込みながら、それを最後は肯定する。
けれど、それはただ「ありのままに」現実をなぞり、「なし崩しに」受け入れると言うことでもない。
彼は常に「何が良いことなのか」を考え続けることを軸にした書き手であり、同時にその正しさを常に疑い、相対化し続け、そこで起こる葛藤そのものをドラマの軸に置いてきた。
それは常に不安定で頼りなかったけれど、良くも悪くも「オヤジ」に成りきることなく、粘り強くこの姿勢に拘り続けた振れ幅が、彼の深みと説得力になっている。
何か(例えば大きな体験的実感や、自我形成期に刻まれた思想)を認識の足がかりにしなければ生きていけないことを認めつつ、無意識にそれに開き直ってしまうことを疑い続ける(疑いきれるものではないという自覚も、一方に持ちながら)。曖昧や不確かを見つめるけれど、かといって決して厭世的にもならず、ニヒリズムを結論にもしない。
こういう書き手は、実は希有だと思う。


この作品は、「頼りなく生々しい不安定」を引き受け、肯定してきた彼が、内なる「昔の男の子」がギリギリのところで控えめに発する「それじゃああんまりだ」を軸に、そのキャリアの最後に彼なりに示した現在の『東京物語』なのではないか?と思った。
日常がいつでも逸脱し、簡単に崩せてしまうものになった、今だからこそ。

山田太一ドラマスペシャル 遠まわりの雨 [DVD]

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