あのふざけた中産階級のガキ共をぶちのめすために

「問題のある人物や組織でも力を持っていれば後難を恐れて見て見ぬふりをするか、時には持ち上げる。そのくせ国家権力のお墨付きを得たとたん各社横並びの袋叩きに転じる。権力のチェック機能であることを自ら放棄し、進んで権力の大衆操作機能であろうとするこの国のマスコミの特性は、ここでも発揮された。
(中略)
こんな世界だからこそ、彼は君臨し続けることができたし、今は水に落ちた犬の如く、ひたすら叩かれるのである。」(斎藤貴男梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』)

「愛されて愛されて育った者は、ある年齢になると、人を心から愛することができるようになる。愛の中で育たなかった者は、いくつになっても愛を欲してばかりいる」(梶原一騎

今まで酒井法子にまともに関心を持ったこともないのに、今回の事件は、なんだか妙に琴線に触れて困る。世間やマスコミの反応が視界に入る度に、何だか胸がざわざわする。


前の旦那の野島伸司との結婚と離婚も、(彼に良い印象を持っていなかったこともあって)遠目に「なんだかな…」と思っていたけれど、今回のサーファーの旦那のだらしなさそうな顔を見て、甘え上手のダメ男にずるずる引きずられてしまうタイプの、流されやすくて幸の薄い人なんだろうなと思った。
旦那の逮捕後、失踪した彼女に同情的な世間の人の多くも、自分と似た印象を持ったんだろうなと想像していた。
ところが、旦那が「妻も(クスリを)やってた」と自供した途端に、「騙された」と反応が一変。
親父も弟もヤクザで、先月弟もクスリであげられてたなんて報道で、「がっかり」という声がそこら中から聞こえてくる。
これが、自分にはよくわからない。
だって、貧乏で幼いころから親戚に引き取られて育ったってことは、つまり「男はヤクザで、女はオミズが当たり前」な環境だろうなって想像くらい、すぐはたらくだろう?(勿論、これもステロタイプな想像だけど、やはり自分の経験に照らして、まずそういう図が浮かぶ) そういう場所に育ってれば、性格にも生活習慣にも、崩れやすい因子を抱え込むこともあるだろうと、(これまたステロタイプ、かつ甚だ差別的ではあるが)想像もする。
サーファーの旦那にべったりで、引きずられるようにクスリも始めちゃったんだろうなと思ったし、旦那が「妻もやってた」とゲロったってニュースを聞いた時には、何とも情けない卑怯な男だなと、なおさら彼女が哀れになった。
ところが、これが多くの人にとって、「意外」で「がっかり」なことだったらしいことが、僕には本気で予想外だった。
芸能人がクスリやるのって、世間じゃNHKのトップニュースになるくらいの大事なんだってことにも吃驚した。


正直、「たかがクスリでしょ?」っていうのが、自分の感想。
今回彼女がやったことより悪いこと、醜いことなんて、そこら辺にざらに転がってるだろ?というのが、僕の個人的な善悪の感覚。それも「もっと酷い犯罪」とかそういうことじゃなくて、ごく日常的に、みんなもっと汚い心の動きや振る舞いを、ざらにやってるだろうと。
テレビでテリー伊藤高橋ジョージが「周りへの迷惑」とか「社会への影響」なんてことを言ってるけど、彼女の子供が可哀想だとかお為ごかしを言う前に、たかがこの程度のことで、世の中総出で一人の人間を晒し上げて貶めまくってる状況(そして、大人がそれにロクに違和感を表明しないこと)の方が、よほど世の子供にとって悪影響だろうと本気で思う。
(だいたい、つるし上げ報道のせいで、本当に彼女が出るに出られない状態になって自殺でもしてたら、どうするつもりだったんだろう? まあ、また掌を返して、悲劇のドラマに仕立てて騒ぐだけだろうが…)


「あの清純派アイドルが、とんだアバズレだったとは」って驚きもあったかに見えるけど、そうしたかつてのブリッコ風のスタイル(あるいは、母性的な女性イメージ)自体が今ではオールドファッションで、その没落や、裏にあった暗さや貧しさごと、断罪され、貶められている気配も感じる。
昭和の芸能人を、ツルツルな平成の人間がよってたかって蔑んで、馬鹿にしてるようにも僕には見えるし、そこに現在に顕著な「人が愚かだったり、賢明でなかったりすることへの不寛容」を感じて、本当に胸が悪くなる。
道徳も美意識もないくせに、合理性を神にしているような浅はかさと思い上がりにヘドが出る。


まあ何にせよ、無事生きててよかったよ。
酒井法子には、笠原和夫の『木挽町の「パリ祭」』の聖子役で、女優復帰して欲しい。


梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

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「妖しの民」と生まれきて (ちくま文庫)

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