レスラー

bakuhatugoro2009-08-04


テアトルタイムズスクエアにて、公開終了間際の滑り込み鑑賞。
僕の周りでは、大方の映画ファンの熱狂の一方で、プロレスファンが一様に微妙な表情を見せている本作ですが、どちらかというと前者寄りの自分にとっても、もうひとつ釈然としないものが残る内容だった。


正直、ミッキー・ロークの主人公が、単に可哀想な良い人でありすぎる。
彼の侘しい貧乏暮らしに寄り添う、ハンディキャメラの不安定で粒子の粗い画面は生々しかったし、プロレスファンには評判の悪い試合場面も、子供のころから何となく眺めてきた程度の自分のようなお客さんにとっては、普通に迫力も痛みも感じられた。
ただ、あまりにも寒々しさと痛みだけが単調に続くので、正直途中で疲れてきた。
何故主人公が現在のような立場にあるのか、うまくこちらに伝わってこないので、感情移入しきれない。
水商売であるプロレスラーの、社会的な地位の低さを訴えたいのか? わからないじゃないけど、彼はおそらく「好き好んで」その世界に飛び込んだわけだし、「80年代最高!」といえるくらい良い時期があったわけでしょう? 
ならば、全盛期の酒とバラの日々のバブルな馬鹿騒ぎや、そこから零落する過程での自業自得の愚行ぶりを、もう少し垣間見せて欲しかった(せっかく「90年代最低! お気楽気分がニルヴァーナで台無し」なんて、いいセリフもあったんだから)。
久しぶりに過去の栄光に酔って、飲み屋のおねえちゃんとトイレでご乱交程度では、何だか彼を拒絶する娘の方が薄情に見えてしまう。
そして、そこから逆に、製作者が主人公を突き放しきれていない甘さが垣間見えてしまう。
本当は、「自業自得」をきっちりと描きこんでくれた方が、善悪を超えた「存在の哀しみ」のようなものが際立つはずだと、僕は思うのだが。


それに、「ここが俺の場所だ」と言い切れるほどの魅力(魔力)が、彼にとってプロレスにはあったわけで、見方によってはやるべきことはやり、結果得るものは得た人生だったとも言えるはず。傍からはどう見えようとも。その、「彼を捕らえた魅力」の部分が描かれないから、彼が単に可哀想な敗残者にしか見えなくなってしまう。
そんなある意味「羨ましい」はずの男が、ストリッパーの彼女に振られたくらいでヤケになって自殺行為に走るという結末への流れは、全盛期もくそもない、僕のような平凡な一観客からすると、正直安っぽく感傷的過ぎる(勿論、弱ってる時ほど人は物理的にも孤独になりがちだし、「溺れる者は藁をも掴む」時の間の悪さは、充分に共感しているつもりだが)。スーパーの接客にだんだん慣れて、軽口叩きながら楽しそうに仕事する様子なんかは魅力的だったのに…
ちょっとだらしないけれど基本的には優しく善良な男が、新しい生活を手に入れようと必死になりつつも、厄介きわまりない男の業によって、結局自殺行為の「黄金の一発」へと踏み出してしまう(たとえば、あの竜二のように。いや、そうした分かり易く男臭いタイプじゃない、一見大人しい男にだって、先天的にであれ後天的にであれ、そこに踏み出しただけの業は必ずあるはず)。カタギが憧れながら、普通は怖くて踏み込めない所で生きてるからこその水商売なんだから、その辺の「業」と「誇り」の問題は、もっと丁寧に扱って欲しかったな。


しかし、どうも製作者としてはそういうことよりも、とにかくある種耽美的に「悲劇」を描くことに意図が集約されている気がして(ある意味僕には、ラース・フォン・トリアーの作品なんかと同ジャンルの映画と感じられた)、馬鹿な人間の生態を映画の中で覗くのは大好きでも、マゾっ気はまったく無いらしい自分の性癖を再確認してしまった。


まあ、それはそれとして、日本でもショーケンあたりを主演に、こういう「ツワモノ共の夢の跡」的な企画をやってくれないかな。
勿論、まったく「懲りることのできない」厄介な男の末路って方向で。
不景気になったからって、そう誰も彼もが便利に、生き方を変えられるわけでも無いんだから。