平凡倶楽部 「戦争を描くという事」 こうの史代

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「ところで私は戦争ものが大嫌いだ。しかし見たくもないままでは描けないので、自分で何故嫌いなのか考えてみることにした。でまず思ったのは、つじつまが合わないように見える。そして、不自由である。だから嫌いなんだということだった」
「また、知りもしない人を「みんな等しく素晴らしい」なんて心の底から思えるものだろうか? ただでさえ目の前の誰かを好いたり嫌ったり、友達や恋人に選んだり選ばれたりしながら生きているのに。いや、そう思うことはできるかもしれない。けれど、そんな世界に暮らしたいだろうか?」
「ナマで見る戦争を体験した方々と、体験記や戦争文学に登場する人物に開きが生じるのは、記録を残すのが都市部の高学歴の方にほぼ限られているためと思われる。(中略)特に、昔の家事は大変な労働なので、殆どの女は書き残す習慣や能力を持たない」
終戦で泣くのは、家族や家のみならず、夢を失った悲しみだと思った。夢とはこの時点ではすでに「勝つ事」ではない。「正義を抱いたまま死ぬ事」だ」

直情径行でともすれば言葉が走りがちな僕と違って、こうのさんの言葉には、一見どんなに穏やかな語り口でも、思わぬ死角を指摘されそうな、静かな緊張を感じる。今回も「終戦で泣くのは、家族や家のみならず、夢を失った悲しみだと思った。夢とはこの時点ではすでに「勝つ事」ではない。「正義を抱いたまま死ぬ事」だ」 という一文には、特に唸らされた。
ここには、「正義を抱いて死にたい」と思った人々への共感と、そのことが孕むものへの畏れの両方が込められていると感じた。


僕はそれでも、「深く何かを信じる」という姿勢を根本のところに持つことは、人間とって大切なことだと考えるし(それが無ければ、信ずるが故の深い懐疑と葛藤も、疑いきれないものを受け入れる覚悟も生まれない)、それは「ただ生きていることを幸福と感じること」「生きることは、何かを失っていくことだとしても」という彼女の言葉と決して対立することではないと思っているから、そこを更にじっくりと掘り下げ書いていく課題をいただいたと、勝手に受け取っている。


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