『傷だらけの天使』の続編が萩原健一主演で映画化

bakuhatugoro2006-11-01




http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20061101-OHT1T00091.htm
本決まりだとしたら、掛け値なしに物凄い企画としか言いようが無い。
ショーケン、例の『透光の樹』降板騒動ではキビシイ現状を晒すことにもなり、世間に袋叩きにあったりもしたが、現在の満身創痍の姿こそ、オサムの末路そのものじゃないか。
むしろ、あまりにも生々しいリアリティが露になることで、映画としては失敗してしまう可能性も大きいと思う。
ショーケンも、そしてこの国自体も確実に年老いつつあり、夢見がちで中途半端なチンピラの挫折が鮮烈に、好意的共感を持って受け入れられるような状況からははるかに遠い。
しかしだからこそ、自分の甘さのために梯子を外されてしまった、自業自得の年老いたチンピラの姿を、覚悟を持って「美しく」描くことには、そんな今だから、そして限りなくリスキーで無価値だからこそ、価値があると思う。
どういう方向であれ、とことん始末の悪さを全うして堕ちきるショーケンが観たい。



この企画、最近また執筆活動が旺盛になってきたショーケンと同世代の某ハードボイルド作家によって持ち込まれたものだとの噂も聞く。あくまで未確認な噂(脚本に参加されているらしいライターの方の日記など...)でしかないけれど、もし事実だとしたら、これ以上の組み合わせはちょっと考えられない。
この件には直接関係ない内容だが、2年前にPANTA&HAL『TKO NIGHT LIGHT』の紙ジャケ再発のライナー用に書いた文章を、この企画への密かなエールを込めて再録したい。






「単独者」の行方をめぐって


1980年7月16日、平井光一、長尾行泰(g)、中谷宏道(b)、浜田文夫(ds)の第2期HALに、石田徹(key)を加えたメンバーによる、日本青年館でのライブレコーディングアルバム。
頭脳警察以来現在まで一貫して、パンタを巡る各バンドは、彼の歌世界を中心にして、サウンド指向の一貫性よりも人間関係を軸に編まれてきた感が強い。そのためもあって、その時代ごとの音楽潮流の影響をかなりストレートに反映し、集合離散を続けてきた。
「マラッカ」「1980X」そして本作と彼を支えたHALの場合、基本的に70年代後半に吹き荒れたテクニック志向のフュージョンのテイストが核にあるが、パンタ自身も発言しているようにその中で「一本筋の通ったロック」をやるための試行錯誤が、このバンドでは特に激しかったようだ。両スタジオアルバムのプロデューサーを担当した鈴木慶一のアイディアも大きいと想像するが、「マラッカ」ではサンバ、レゲエ、ガムランなど、プリミティブなリズムを貪欲に取り入れて冒険小説的に雄大な物語を展開し、「1980X」はある意味フュージョンとは真逆、パンク、ニューウエイブ的にシンプルさを研ぎ澄ましたロックの疾走感の中で断片化された言葉のイメージを乱反射させ、都市の喧騒と孤独を映し出した。
HALの演奏の安定感とニュアンスに富んだ表現力は、パンタの持つ柔らかでロマンティックな資質と歌心を羽ばたかせ、それを損ねない形で音楽的冒険の緊張感と融和させることに成功していた。しかし、やはりその緊張感ゆえに短命を宿命づけられ、本作収録のライブを含むツアーの中で解散に向かっていく。この「TKO NIGHT LIGHT」は、まさにその臨界点の記録だ。
本作には、不慮の事故で半身不随となった少年に贈られ、その魂をイマージュによって宇宙へと託し飛翔させた「ステファンの六つ子」(シングル「ルイーズ」cw曲)、ワイマール時代のドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルグの虐殺を歌って「クリスタルナハト」構想の残滓を感じさせる「フローライン」はじめ、バンド名の由来である「2001年宇宙の旅」に登場した意思をもち暴走するスーパーコンピューターHAL2000をイメージさせる「HALのテーマ」、螺尾(らび)という意味の定かでない造語の響きが、踊るリズムとメロディの中でラビリンスのごとく想像を掻き立てる「螺尾」、「1980X」に引き続き東京への接近戦を試みる「TKO NIGHT LIGHT 」、そしてツアー用に作られたライブ専用曲と言われる「Baby good night」「タッチ・ミー 」と、全16曲中実に7曲を新曲が占める(個人的には、本作には未収録だが、HALのリズム指向の頂点というべき名曲「メルティングポト」の、何らかの形での音源化を期待したい)。
ソロ時代の2曲「屋根の上の猫」「マーラーズパーラー」、とりわけ「80’」と銘打たれた後者は、文字通り言葉のイメージが舞い踊るリズミックなナンバーへと生まれ変わった。
本作に限らず、パンタ&HAL時代のナンバーの、一聴、その硬質なテーマのイメージを裏切るような、明るく軽快な曲調が与えるポップで乾いた印象、そして底に流れる楽天的でどこか温かいロマンティシズムを、リアルタイム世代は懐かしく感じ、また今回の再発で初めて触れる新しい世代には不思議な違和感として届くのではないだろうか。
そうしたパンタ&HALの音を生んだ土壌である、70年代末から80年代初頭へとまたがる時代変遷を振り返り、当時と現在との距離を検証しながら、時事性やテーマ、音楽のジャンル的定義といった額面を剥ぎ取ったところで見えてくる、パンタ&HALの表現の本質と、それが「現在」の僕たちに対して持つ可能性を浮かび上がらせてみたい。




僕が、パンタ&HALの音を思い浮かべるとき、反射的に浮かび上がってくるのは、映画『太陽を盗んだ男』のことだ(さらに言えば、日本のロックにおけるパンタの存在感を考えるとき、やはり条件反射のように僕には日本映画における、”ゴジ”こと長谷川和彦のことが思い浮かぶ。ロマンと少年性、リベラルで乾いたヒロイズム、人の良さと過激さ、調子のよさと風通しの良さ、戦後育ち、団塊前後の世代の明るい部分を体現したような青春の匂い...)
画面に映りこむ日曜日の歩行者天国、デパートの屋上、郊外の核家族の休日の風景(
そういえば、パンタ&HALのデビューステージは札幌のデパート屋上であったらしい)。
貧しさの記憶は過去になりつつあり、人々は豊かさを実感していたけれど、まだそれが人々を、個性と差異の主張へとばらばらに駆り立てるには到っていなかった、高度成長達成後のエアポケットのような平和の時代。
のっぺりと生温かく平穏な午後の風景(原爆を製造するジュリーの部屋では、「ウルトラマンレオ」の再放送が流れていた)。
僕自身は当時小学生だったこともあり、この時期が、最も世界と一体感を持てた時代だった気がする。窮屈でない程度に、世の中にも家族にも安心できていて、ずっとこんなふうに現在は未来へと繋がっているんだろうと思っていた。



パンタ&HALの音に感じる、ロマンの残滓と楽天性は、こうした時代の空気と無関係ではないと思う。
けれども、後に知ったところによると、1970年前後の政治的文化的騒乱の季節に青春を送った人々にとっては、この70年代後半のぬるま湯のような平和というのは、暗黒の時代でもあったらしい。
あるいはそうした横並びの平穏さが永遠に続くかと思われるような空気は、そこからこぼれ落ち、疎外された孤独から見れば、敵すら見いだすことの出来ない、叫びをあげる理由も掲げられない、出口のない閉塞であり、地獄とも感じられたかもしれない。
後年、初めて「太陽を盗んだ男」を観た時、日常を超えた激しさを向ける場所を失い、脈絡を失った個人のあてどなさと頼りなさが、一見荒唐無稽なストーリーの中でこそ、生々しく浮かび上がっていることに驚いた。70年代後半の時点で、後にオタクや引きこもり、ストーカーと呼ばれていくような感性を明暗込みで描き、掘り下げ得ていたゴジの先見性、いや、彼自身の未来人の如き新しさには特筆すべきものがあると思う(それはそのまま、「モーター・ドライブ」や「ナイフ」を歌ったパンタの感性とも響きあう)。
反抗すべき堅牢な伝統は解体されつつあり、目指すべき理念への闘争は挫折し、それはまだ近過去であるだけに人々は進んでそこから遠ざかり、傷を癒し、忘れようとしていた。
パンタもまた、闘争の象徴として季節の終わりと共に沈没してしまうことから身をかわし、洗練と深化の時代に突入していた、ロックの状況へと適応するため試行錯誤を続けていた。
頭脳警察のイメージから遠ざかろうとし、かといってロマンの過激さを求める根本的な資質を捨てきれるわけでもなく、迷い、揺れ続けていただろうソロ2作の時代を経て、一人称によるストレートなロックから一歩引き、一本の映画のような虚構に託した物語の1シーンを歌い、演じるという方法論によって、ロマンをロマンとして純粋に抽出し、存分に展開させて同時代の聴き手へと開いていく、パンタ&HALへと辿りつく。
そして時代はやがて、誰もが横並びの日常に飽き足らなくなり、個性へと煽られ飛び出そうとした、明るい狂騒、シニシズムニヒリズムの80年代へと向かっていく。


あの騒乱の時代の中で、「世の中のため」「理想のため」に真剣になりすぎること、動機やコンプレックスを強く抱えた者がそういうストイックな方向を持つ集団の中で、その切実さ故に個人のわがままや人間が本質的に抱えているエゴを認めず、断罪し、目的へと追い込んでいくような「滅私的」窮屈さに対して疲れ、うんざりしていただろうパンタとゴジは、「誰のためでもなく自分の快楽のために」闘う、という姿勢を生理的なレベルで貫き続け、その風通しの良い尖り方は、当時のウエットな情や熱を忌む若者文化、パンク、ニュウーウエイブ期の背景となったメンタリティとも相性が良かった。パンタ&HALによる、虚構として距離を取った世界の中で自由に飛翔し、グルーヴによって体感される硬質なロマンは、見事に受け入れられていった。
しかしそれは皮肉にも、一方で(彼らが意識するしないに関わらず)そのまま、その後の日本を覆い尽くしていった消費社会になし崩し、無批判に適応することによる分衆化、平たく言えば一億総オタク化、行き過ぎた個人主義の帰結としてのミーイズム状況、それによる社会性や公共性の消失へとまっすぐに繋がっていく思想であり、感性でもあった。
パンタやゴジの描く主人公は、あらかじめ他者と共有する日常の持続や建設への指向を否定し、拒んでいる。
家庭を築き、職業を持ち、生活の共有、持続と定着の中で築くものを、市民社会的中庸を拒む個人主義的ヒロイズムへの信仰のため、少なくとも作品の中では肯定的に描くことができない。彼らにとって「世界」とはまず、「きみに蹴られるのを待ってる」(ステファンの六つ子)存在だ。
太陽を盗んだ男」には、主人公が思いを寄せてくれる女を海に投げ捨て、置き去りにするシーンがある。思えばそれ以前の作品、「青春の殺人者」の水谷豊も、恋人を置き去りにして一人いずこへか流れて行くし、「悪魔のようなあいつ」にいたっては、鬱陶しい邪魔者を大掃除するかのように、主人公周囲の女性キャラクターたちを皆殺しにしている。
いずれにせよ、自分と社会の架け橋になろうとする女性を最終的に拒み、独りを選んでいく。パンタは、そこまで突き詰めた表現はしていないけれど、何よりも「自分」という単位と「個の自由」に執着する価値観は根本的に通底していると思う。それは、難民やクローン、非業の革命家達といった、デラシネの詩を歌い続けるパンタ&HALの世界にも顕著なように、自ら選び、己を異端者、少数者という立場に置く矜持、あるいは市民的なヒューマニズムをはみ出すような存在を、敢えて掬い取ることにこだわるような表現への志向の結果でもあっただろう。



しかし、彼らはそうした自分を取り巻く不自由に反発し、遠ざけた果てに残る、自分自身の中にある不自由、人間そのものの限界に、誤魔化すことなく向き合えていただろうか。
「オイルロード」を、「昭和天皇崩御」を幻視し、テクノロジーの恐怖や歴史の桎梏を召還して揺さぶろうとした「裸にされた街」を、望み、生み出したものの正体とその行く末を、パンタは掴み得ていただろうか。世界の広がりや貧困のリアリティーを描く「マラッカ」には、まだ辺境へのロマンやヒューマニズムへの期待があったし、「1980X」の無機的でサイバーな都市を描く視点には、そうしたクールな未来像への不安と憧れが入り混じりながらも、結局はタフに生き抜いていく人間の生命力に対する確固たる信頼が感じられる。
しかし、市場経済と情報ツールの充実の果て、個々がばらばらのまま生きられるようになってしまった(生きられると思い込んでしまった)なし崩しの現在に対して、それがまっすぐに届くことは、正直、難しいだろう。彼らは、「マラッカ」の描き出すいかなる雄大な物語も、自分の現実と切り離した大仕掛けな見世物(あるいは自分を棚に上げた「頭でっかち」な正しさ)としてしか受け取らないだろう。様々な他者との関わりの中で培われるべき内面の希薄さ故に容易く極端な暴力に走るような、いわゆる現代のキレる若者的な感性に、本当の意味で「1980X」がシンクロすることはできないだろう。



が、それは作品の、そしてパンタの限界であると同時に、豊かさを示している。
パンタの表現には、後の若者文化に顕著な安易なニヒリズムによる殺伐が無い。
どこまでも、その中心にある熱いヒロイズムとロマンティシズムが翳り、消えることがないからだ。それが世に受け入れられる、られないに関わらず、彼はニヒリズムに陥ることなく、飄々とそのままで居続けるだろう。
彼がどれほど個に執着していたとしても、彼の作品の背景には原体験としての個を越えた祭りの熱狂や一体感、たとえ反抗や反発であれ、(ぶつかる敵とさえ)同じ場所や時間を共有した熱い記憶がにじんでいる。「手応えの記憶がおれに蘇える」(キック・ザ・シティ)。このライブ盤にもしっかりと記録された、あの「つれなのふりや」をはじめ、熱いコール&レスポンスの一体感への志向にも顕著なように。
そして、その否定面も身を持って潜った中で、意志的に個であることを選んだという矜持が輝く。
定着と建設を引き受けることを拒んだパンタの描く放浪は、ただいつも「ここではないどこか」へとずれ、限界に向き合うことを先送りにする、成熟の回避と青春への固執の逃避行でもあったかもしれない。
けれど、答えは「どこか」にあるのではない、そしてどこにでもいられるわけではない自分のリアリティとその限界を、なし崩しの適応や自閉への居直りの中で誤魔化すことなく引き受け、確かめようとする者に対しては、だからこそ常に「ここ」を疑い、「どこか」(というあらゆる他者)との間にある落差と断絶を意識することによる、問いと葛藤の過程の中に、熱と意味が生まれることを教え、冒険のロマンとヒロイズムの快楽にいざなってくれるはずだ。



とりわけ、感傷を遠ざけ、強いられたものでもなし崩しの結果でもない、自ら選びとった放浪と冒険の快楽を、虚構の中に純粋に取り出して思う存分爆発させることに集中した、パンタ&HAL時代のアルバムは。そしてその集大成でありピークとも言えるのが、このライブ盤「TKO NIGHT LIGHT」だ。
フュージョン的にクールで洗練されたHALの音は、ラウドでストレートなロックが一般的に定着した現在のロックファンからすれば、一見、非ロック的な印象を受けるものかもしれない。
当時からすでに、無機的にソリッドした美意識を突き詰めるニューウエイヴ的な姿勢が全盛の中では、どこか旧世代のロマン主義的ロック観を残すHALの音は中途半端と受け取られるところもあったけれど、その「揺れ」と試行錯誤を内包する熱さと幅が、まさにパンタにはジャストだったと思う。そして、言葉ではなく、リズムによるフィールドワークによって、世界の広がりを体感させてくれる。
逆に言えば、現在の、ロック原理主義から自由なリスナーには、フラットな音の快楽として自然に届くのかもしれない。にもかかわらず、パンタの歌世界を最大限に飛翔させるため練りに練られ、鍛え上げられたアレンジ、抜群の整合感を見せながらクールに爆走するリズムは、アフレコ一切無しのこのライブ録音の中で一層バンドとしてのケミストリーの高さを伝え、やはり最終的に「ロック」としか呼びようがないものだと思う。今回のリマスタリングでの思い切った低音の強調による、分厚く、重く、ダイレクトになった音像は、パンタ、そしてHALというバンドが内に秘めた「破裂しそうな愛」の衝動の存在を、より直裁に伝えるようになったと思う。



先日2chを眺めていたら、もし、矢作俊彦「ららら科学の子」(30年の不在の内に、「異邦」と化した日本で過去の痕跡を探し彷徨った果て、「他者」として去った妻を追い再び旅立つ男の物語)を映画化するなら、監督はゴジ、主演ショーケンだろうという書き込みがあった。ならば、音楽はPANTAをおいて他に無いだろう、と、今回本作を聴きながら、あらためて思った。



そして、『連合赤軍』も。


2004.4.12 河田拓也