松本零士『男おいどん』


足の裏に突然できた血瘤の手術の予後で、ほとんど外出できないストレスもあって録りためてたCSの成瀬巳喜男特集をちびちび観たり、藤子Aの『愛...知りそめし頃に』とか松本零士の四畳半モノとかを再読一気読みしたり...
松本マンガ名物の章末モノローグ、初期のものは特に、小さな日常、現実に寄り添ったディティールと、微妙な心情を丁寧かつ直裁に掬っていて本当に素晴らしい。

偉大なバーサンは むかしを思って
やけ酒をのんで しみじみと寝た
情けない思いをするのは 男だけではないことが
その夜 おいどんには よくわかった
清水さんはおいどんによりそって泣いていた
月の光にてらされた清水さんの横顔は
青白く とてもきれいだった
涙が ほおを流れていた でも それだけのことで
おいどんが手をにぎっていいわけでもない
手をにぎってくれるわけでもない
おいどんには やっぱり
守り神とトリさんしかいない
菊本は北村さんと外へ出て かえってこなかった
「人造大停電」


昔は野蛮で、馬鹿で、牧歌的だったってのは、「現在」の都合から観た思い上がった勘違いなんだよね。
ダヴィンチ今月号の呉智英『マンガ狂につける薬』は、吉田満戦艦大和ノ最期』と松本零士を並べて取りあげていて、個人的にタイムリーで良かった。

(戦場マンガシリーズに描かれた兵隊たちは)ある時代に生まれ、ある祖国を持ったという運命を背負いながら闘う一人の人間である。ストイックで内省的な姿は、平和が国是となった現代でも心を打つ。
 しかし、我々はこのことを大っぴらに語ることを許されてこなかった。闘いは嫌悪され、ストイシズムは嘲笑され、軟弱やら欲望やら本音やらが讃美された。もちろん、誰もが実は軟弱なのであり、欲望を満たしたく思っているのであり、建前の底には本音を秘めているのである。だが、軟弱や欲望や本音は、軟弱や欲望や本音が守ってはくれない。それを守り、それを実現するのは、闘いでありストイシズムなのだ。
 松本零士を一躍人気作家に押し上げた『男おいどん』は、東京に住む貧しい下宿生を描いたユーモア作品でありながら、一連の戦闘マンガに通じるものがある。戦後の豊かな社会の中で、それになじめず孤軍奮闘する青年の姿は、ユーモラスでありながら、これが一転すれば荘厳の美となって輝く。この逆転が見えにくい時代は、苦難の戦争の時代とはまたちがった意味で不幸な時代なのだろう。


俺は、おいどんの場合「その時」が来たとしても、「荘厳の美」より「必然的ズッコケ」を想像してしまうんだが(笑)、それはさておき下の「電車男とおいどんは違う!」のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20050820に引っかかりのあった人にはお薦めの一文です。


男おいどん (1) (講談社漫画文庫)

男おいどん (1) (講談社漫画文庫)