最近の仕事2つ

bakuhatugoro2005-09-30



『ロック画報21 メッセージソング特集』に、大江慎也『ROOKIE TONIGHT』『HUMANBEING』『BLOOD』『PECULIAR』『WILL POWER』、花田裕之『Solo works 1990-1998』、60/40『100=60/40 THE COMPLETE RECORDING OF 60/40』といった、ルースターズメンバーのソロワークのレビューを書いています。


 しかし、大江のソロに関しては、こちらの支点の打ち方が本当に難しかった。 
 「ぶっ飛んでること」、そしてそれがそのまま表現している当人のリアルな実像であること。 それを、「意図的な自己アピールの臭みを感じさせることなく」、素で体現してしまうようなロックを、ある種のロックファン(「俺たち」と言ってもいい)は、どこかで求めている(求めてしまう)。
 こうした「選ばれた」表現者の代表格の一人とも言うべき大江だけれど、その時代、環境の中での気分と閃きをそのまま表現した結果、早くから強度のある作品を生み出せてしまった彼のような「無意識過剰」タイプは、周囲の状況との関係で形作られていく自分の脈絡を意識し、相対化することができにくいゆえに、持続による蓄積や成熟と無縁になりがちだ。
 調子の良い「天然」の人への礼賛は気楽で良いけれど、その迷走や不幸にインパクトやリアリティがある場合というのは、本当に難しい(彼のキャリアと人生が現在進行形であればこそ、尚更...)。


 対して、花田のソロワークは、地味だけど確実な成熟とニュアンスの深まりが感じられて、本当によかった(正直、彼の全キャリアの中で、今が一番良いと思う)。
 もっともっと紹介され、聴かれて良いアーティストだと思います。お薦め。


 俺は参加していないんだけど、「メッセージソング特集」について少し。
 前提となる立場や思想性を共有していれば(あるいは「そういうもの」として許容できていれば)、資料性含めて読みどころは多いのだけれど、こうした「意味」や「主義」の上での立場がはっきりした雑誌というのは、どうしても最初のところで大きく読者を限定してしまう。
 昨今の、そうした意味性や、聴き手、送り手の立場の掘り下げを厭い、忌卑する「バイヤーズカタログ」的な音楽誌、サブカル誌には常々食いたらなさを感じてもいるんだけれど、今回のロック画報にも広義のロック的思想や「カウンターカルチャー」の「機関紙」的な固まり方を感じたこともまた確か。
 もう少し前の段階、「ロック的反抗」という前提についての懐疑の視点や、リアルな波立ちが(並列的な形でいいから)入っているとスリルも増すし、開かれもするんじゃないかなとは思いました(内ゲバ議論が続くような形になると逆効果だけど、そこは外への意識のバランスに配慮しつつ...)。


ロック画報 (21)

ロック画報 (21)


ORIGIN DUO~COUNTERATTACK 大江慎也&花田裕之ACOUSTIC LIVE(DVD付)

ORIGIN DUO~COUNTERATTACK 大江慎也&花田裕之ACOUSTIC LIVE(DVD付)


 『音楽誌が書かないJポップ批評39 ゆずはズルい』(宝島社)に、「「普通の人」は何を失ったのか? ゆずに見る「みんなの歌」としてのフォークの現在」という一文を書いています。


 今、もっとも「普通」を体現し、普通の人に聴かれていると思われるゆずの曲を、あらためて聴いてみて強く感じた「頼りなさ」「寂しさ」を、地縁や血縁からも、そしてずっと続いていく「日常」を支えていた「定職」からも切り離された、フリーターや派遣社員という「新しい普通」の人たちの現在と重ねて、少し掘り下げてみました。
 このムック全体としては、ゆずを「ニュートラルな新世代の新しさ」という結論に落ち着けようとしている印象を持ったのだけれど、僕はその「受身でニュートラル」な普通さゆえ、なし崩し的に淋しくもなっている普通の人の今を彼らの曲に感じて(それは一見素朴なようで、Jポップ的に加工されてもいる音の「ツルツル」した印象とも表裏一体)、そこを強調したためもあって、編集氏からも彼らに対して揶揄的な内容と受け取られてしまった気配もあるんですが、そうじゃないんですよ。それは、落ち着いて最後まで読んでもらえればわかっていただけると思います。


 九能五郎ことガルシアの首http://d.hatena.ne.jp/headofgarcia/による真心ブラザーズとの比較レビューも、こうした状況の変化によって露になった普通の人の「受け身のジレンマ」に、別の角度から光を当てていて秀逸と思いました。


音楽誌が書かないJポップ批評 39~ゆずはズルい。 (別冊宝島)

音楽誌が書かないJポップ批評 39~ゆずはズルい。 (別冊宝島)


 しかし、今回の2誌の印象から、現在の「浮動層」を意識して見つめることの大切さと難しさを、はからずも再認識させられているところ。