Theピーズ 2


昨夜(もう一昨日か...)も同居人に付き合って、下北Queにてピーズを見る(調度隣にウガンダ氏が居た)。
前回、というか彼らについて書く時は毎度「ヨレヨレオヤジ」っぷりをつい強調してしまいがちだけど、実のところピーズは、曲も詞も演奏も、今が一番背筋が伸びててカッコイイと思う。
若さに対する未練ゆえの韜晦や屈折、焦りや自己嫌悪の裏返しの近親憎悪や自暴自棄の臭みが無くなって、どうあがいたって「こんな自分」であることを受け入れざるを得ない齢になった今、生きていくためにストレートに必死になり、あがいてみせる。立つ瀬の無さも受け入れて、腹括ってるからこそ他人にも優しい今の彼らは、潜るべきところを潜り、受け止めるべきものを受け止めた「本来の」「あるべき」姿に限りなく近づいていってると思う(イイ感じに「疲れ」が刻まれている風貌も込みで)。
勿論、それで万事めでたしってほど世界の天井は低くは無いが、今の彼らを見てると、年輪重ねてはじめて人は人になるんだななんてことがしっくり腑に落ちる。


世評はともかく、俺は初期、「グレーテストヒッツ」の頃までの彼らは全然好きじゃない。甘えた舌ったらずな歌いっぷりと、トイドールズもどきのプラスチックな曲を聴き返す度、バブル期、バンドブーム期のヌルく煮詰まった(煮詰まりを煮詰まりとして誰も受け止めないからこその)閉塞感が蘇って本当に辟易する。
俺は、世代的にこの頃のロックが得意ジャンルだと思われがちなんだが、正直言ってバンドブームとその時代には愛着が全く無いどころか、むしろ嫌悪感の方が強い。青春的な粋がり込みのストイシズムやリリシズムへの傾斜からロックに入れ込んだのに、それがいつのまにか開き直ったただ本音や、「みんなやりたいようにやればいい」なんてふざけた思考停止と自己完結、ヌルいエゴの馴れ合い的肯定へとなし崩しに行き着いてしまったことに、梯子を外されたようなやるせない気持ちになり、心底途方にくれていた。
中ではピーズは、ヌルい倦怠を直裁に表現するセンスに才能は感じたけど、やはり居直りながら調子付いてるだけのガキという印象は出なかった。
むしろ、半端に小器用な分タチが悪いというか。


それが本当に、よくぞここにたどり着いたもんだと思う。
多くの同世代がロマンや屈折の中で自閉し(弟君なんかもこの典型の一人だな)、あるいはただ穏当に丸くなっていく中で、センシティブさはそのままに、誰よりも謙虚に、正面から人間を受け止め、掘り下げるバンドになった。
勿論、正面から受け止めたところで、いかんともしがたいキャパの限界を抱えてるのも人間だけれど、「それ以上のことは言えない」なりに「嘘の無い」あがき方の行程をこれからもずっと見せてくれるだろうという信頼が、今の彼らにははっきりと持てる。


たまぶくロカビリー倶楽部
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