清志郎の「JUMP」

清志郎についても、少し追記。
元有頂天のケラが(と書いた方が、今の名前よりも自分には馴染みが良い)ブログで、「彼の歌う「スローバラード」がある時期から以前ほど切実に響かなくなってから、あまり清志郎を聴かなくなった」「彼はこれ以上ないくらい世間に「わかってもらえ」た。もし、25歳の「わかってもらえない」ままのバンドマンだったらと想像すると、ぞっとする」といった内容のことを書いていたんだけどhttp://blog.livedoor.jp/keralino/archives/65254935.html
これに近い気持ちが僕にもある。個人的に思いのある人が彼を惜しむのは当然だけど、すでに充分すぎるくらい「わかってもらえている」人に群がるよりも、わかってもらえていない人たちに光を当てる方に、どうしても自分の意識は向かう。
ただ、何かのニュースで一人のコメンテーターが、「彼は戦後民主主義の良い意味で体現した人だった。学校を舞台にした歌にしても」と発言しているのを聞いて、妙に納得したところがあった。奥さんへの「石井さん」って呼び方にしてもそうだし、一見過激で反抗的に見えた風体や振る舞いも、民主主義を信じて乱暴に表現した形だったと思う。
とにかく、彼の良い所も悪いところも、民主主義という言葉にしっくりと収まるし、だから最終的に「食い足りなかった」んだなとも思う。僕は、(学校)民主主義の建て前のバイアスがかかった「みんな」と「個人」の関係に対する懐疑が大きな動機になって、勢いそれ以前の人間の現実に目が行くような人間だから、反発を感じるのは当然だった(例えば、「言葉じゃない」ってふうに空気や以心伝心でものごとが決まっていながら、一方で「みんな一人一人が自由に選んでるだけ」「おまえがはっきり言わないのが悪い」ってふうに物事が処理されるような二重基準の欺瞞とか)。


ただ、今回NHKでやってた追悼番組の中で聴いた「JUMP」って曲は、そんな僕にも響く何かがあった。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND20672/index.html
「わかってもらえなかった」ころの屈折や、尖った排他性みたいなものがすっかり消えて、ロック的な意味では丸くなってるんだけど、それこそ戦後民主主義が持っていた、前向きで優しい(それでいて結構タフだった)楽天性が、曲にも言葉にも純化した形で表現されていると思った。
不幸な世相を歌った後に、「荷物をまとめて 旅に出よう」と切り返すのが、軽やかで逞しい。
あの遺影の笑顔にもそれを感じるし、「じゃあんぷ!」と今でも小学生みたいな声で歌う清志郎に合わせて、やっぱり邪気のない顔で手を振る客のおっさん、おばさん達には、どうしても憎めないものがある。
ただ、やはりそれだけで人間が丸く収まるとは、自分は思えないし、だから頼りなくも無責任にも感じるのだが、何か、一瞬の繋がりや、盲目の優しさのようなものを、大切にしたいという気持ちを呼び起こされもする。
「もしかしたら 君にも会えるね」の、「ね」が可愛いんだよな。