『一条さゆり 濡れた欲情』神代辰巳 『マル秘色情めす市場』田中登

bakuhatugoro2005-01-11



疲れた時は、いつも以上に映画が見たくなる。
けれど、そんな時こそなまじの映画じゃだめ。
自分から積極的に何かを求めたり、読み取ったりするようなパワーも情熱も無いが、だからこそ疲れてくすぶり、不感症になったような自分に、世界を鮮明に感じ直させて欲しい。


というわけで、結局『一条さゆり 濡れた欲情』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LPA7/ref=pd_bxgy_text_2/249-2769055-6533142 のDVD買ってしまった。
こういう時だからこそ、伊佐山ひろ子のエグいまでのバイタリティ、そしてそれを可愛いと感じさせてしまうような、神代のアホをアホなままに描きつつ愛を失わない懐の深さに癒される。
あの世界、一見ドギツイようで、実は全員がアホでタフで懲りないって意味でうまくバランスが取れてる、ある種のパラダイスだと思う。
個々のふれあいが、人間関係が社会へと広がり、間接的になることによって生まれる偽善とか嫌らしさが、この人はとことん嫌いなんだなァ。
そういう意味では、これも彼の定番のひとつである青春ロードムービーの一種の変奏であるとも言えそうだってことに今回気付いた。


そしてもう一本、これもロマンポルノ史上屈指の傑作と世評の高い、田中登『マル秘色情めす市場』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LPA8/qid%3D1105462339/249-2769055-6533142
釜ヶ崎で娼婦をやりながら精薄の弟を養う主人公芹明香
全編ほとんどモノクロの画面は、極貧の街並みとゴミ溜めのような部屋での濡れ場を写しながら、流れるようにヴィヴィッドで艶っぽい。前半20分ほど見て、これは相当いい映画かなと思っていたら、だんだん「ん?」と思うシーンやセリフが増えてくる。


希望の無い場所で極限状態のような暮らしをし、擦り切れはてた人間を通じて、(だからこそ)あらゆる虚飾を剥ぎ取ってそれでも残る「本当のこと」が見たい。そうした製作者の意図はよくわかるんだが、自分と彼らの距離に関して、厳粛になりきれていないと思った。
この映画が撮られた74年当時、いや、今でもこうした「人生捨てたもんじゃない」なんてとても口に出来ないような極貧やどんづまりの人生と言うのはありえるだろうけれど、同時にこのころ既に、社会、階層はかなり流動的なものになっていたことも事実。
だから、どうして主人公はじめ登場人物たちが、それでもここに堕ちて来て、また出て行こうとしないのか、というあたりが丁寧に描かれなければならなかったはずなのだが、この映画はそこをまったくスルーして、悲惨さを映し出すことだけを目的化してしまっているように見えた。
娼婦の母親が客を取るうちに身ごもった、父を知らない主人公に象徴させて、身一つの根無し草の生き様を描くことに拘ったようだが、そうした「根が無い」ような悲惨さ自体が彼女の「故郷」であったとも言えるはずで、例えば彼女がそこを出た時に、故郷を憎みつつ外界との断層を意識していく過程を描けば、彼女の孤独をより鮮明にできたんじゃないか?


会社での横領がばれて流れてきた萩原朔美宮下順子カップルのエピソードにしても、宮下の仕事先のスナックで彼女に売春を斡旋する男にコマされて萩原を捨てる過程で、男を捨てて尚、釜でしか生きられないだけの宮下の理由や、あるいはずるずると目先の生活におぼれる過程が説得力を持って描写されないので、「青白いインテリは無力」「女は結局アレがいい男がエエんや」くらいの浅はかな感傷にしか見えない。


ガスをつめたダッチワイフで女もろとも爆死する萩原や、鶏を連れて通天閣に昇り首をつる弟のシーンなども、わかり安すぎる象徴を安易に貼り付けたように見える。
だからラスト、自分を外界に誘ってくれる男を拒絶しての芹の独白、「自分のような根無し草は、ここがお似合いや。ここで生きていくんや」が、外界との断層を前にして自ら選ぶ諦念の厳粛さとして響かず、製作者の世間に対する青い当てこすり程度に響いてしまうのは残念だった。


しかし、まったくの駄作かといえばそんなことはなく、場面場面の描写のセンス自体は素晴らしい。ただ、それを繋ぐ監督の意図が、現実のドギツさを自分の厭世観や、ある種の耽美趣味のために奉仕させている(ことの無礼さに、彼自身がまったく無自覚である)ことに、俺は抵抗を感じた。そういう意味では、最近のセンシティブさに自家中毒したような若い監督たちの元祖のような人だとも言えるかもしれない(そういう映画は、引っ掛かりがある分、違和感の正体を一つ一つハッキリさせておきたくて、観ていて凄く疲れる)。


しかし、主演の芹明香は、まさに「あらゆる虚飾を剥ぎ取ってそれでも残る「本当のこと」」を体現する存在感を放ちまくっていた。
擦り切れた無表情さで作業のように無味乾燥な客とのセックスを繰り返す芹が、精薄の弟だけは可愛がり、チンポコを優しくこんにゃくで包み、舌で愛撫してやるシーンは、虚飾でない切なさに満ちて掛け値なく美しかった。