覚書 帷子耀「ふかまる秋に」

調べものがあって70年代の「映画芸術」のBNをめくっていたら、探していた帷子耀による『仁義なき戦い』の批評を偶然発見。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040605
目次に記載されていないから、どうりで見つからないわけだ。

傷口には静けさがある。血が流れるとき、その痛みは、一呼吸おいて、先ず、身体に流れる。いきなり、心に流れる痛みなどというものはない。血が、人に心臓のありかをおしえなおす。心臓と心とは一つではない。あふれる血の中心に静けさがある。傷を負うことで、いかに泣き叫ぼうとも、あるいは、いかに絶句しようとも、その声を、その沈黙を、のみつくして傷口はひらいている。
誰でもよいのだが、たとえば、藤田敏八などのシャシンを眺めていると、血がどんどん心のようなものに流れ込む。少し休んだほうがよい。冗談とは、休み休みいうものである。そこには、心はない。甘えあうことがはやる時代、人間が人間を馬鹿にする、この時代にあって、一人、血による覚醒を試み続けている監督がいる。深作欣二。敬愛の念とともに、この名を記したい。暴力の本質を深作は落としていない。落とそうとしていない。それ故に、逆に、心へとむかっている。


一言、おいておく。この世のこととは、ひとごとである。すなわち、他人事ならざる人事。ことは、人間にかかわっている。暴力沙汰も、また。見落とす、とは、見ることを落とすのではなく、見て落とすことのような気がしてならない。良くある話は、大事な話である。よくある話に暴力沙汰がある。深作は暴力沙汰を見つめる。

深作というよりも、まるで北野武について書いているような文章。
そして、笠原和夫を反応させ、長い手紙を書かせたと思われる部分。

緊迫感、スクリーンの張りつめようということでなら、第二部にとどめを刺す。殺伐としていながら、観る者の、吐く息、吸う息に小刻みなふるえを起こさせ、山中正治北大路欣也)の自決にいたるラスト数分、蛇口からしたたりおちる、刻々の小さな水音は観る者を圧し、その息をつめさせた。山中が銃口を口にあてがい、まさに流さんとしている血と観る者の体に流れている血は、同じものだった。山中の孤独と水音によって、時間をかけておこなわれた死への手続き。その時間が観る者の時間でもあった。短い、ということも、長い、ということもなく、ただ、時間があった。時間の流れ。


時間の流れ。このことを、そのまま、歳月の流れとはいうまい。原爆。マッカーサー元帥。下山事件。朝鮮動乱。安保闘争。浅沼委員長刺殺事件。池田内閣所得倍増政策。戦後のニュース・フィルムを多く用いながら、第三部までつくり進められてきた『仁義なき戦い』、この作品には、実録ではない、という感想とは別に、いつわりの戦後史という評がなされている。言挙げしておかなければならない。この作品に戦後史はない。右翼。いうところの第三国人部落民。さらには公安。これらを不明のままにして、戦後史はありえない。


前川巡査 「駅前の衣料問屋によ、三国人のピストル強盗が押し込んで、わしらではどうにもならんのよ。頼むけん来てくれい!」


坂井 「そう言われても、わしらにゃなんも出来んですよ」


前川巡査 「(小声で必死に)お前等、これ(ピストルの引金を引く手ブリで)持っちょろうが!」


広能 「ほいじゃァ、ブチ殺しても構わんの?」


前川巡査 「構わん、構わん! 後始末はこっちでやるけん、やってくれい!」


 顔見合わせる一同。


坂井 「よーしッ、男になっちゃろう!!」


第一部、闇市における一シーン、この部分、こうした部分は、脚本にのみ残されている。この削除を、だが、私は、妥当なものだと思っている。やくざ対三国人などという図式は成り立たない。日本戦後やくざは日本人だけで構成されている訳ではない。こうした削除が安易であるとする者こそ安易であろう。
「仁義とは遊び人のルールではない。貧乏と肉体労働の中から生まれた、生存の為の心意気のことである。」(笠原和夫)とするならば、すくなからぬ第三国人が、この言葉を生きている。戦後日本の国民的ヒーローの中に、力道山という韓国人がいたことも忘れてはならない。


歴史は、いつもいつわりにみたされている。その意味では、事実などというものは本来ありえなようのないものである。『仁義なき戦い』に戦後史はない、と書いた。書きなおしておこう。『仁義なき戦い』には、戦後があって、戦後史はない、と。時間の流れと歳月の流れとのへだたり。


作品の中を時間が流れるということ。その時間が、観る者へと流れこんでゆくということ。それで充分である。そこに映画がある。

人の心に感動がとまる。花に蝶がとまるように。そして、はなれる。人の心に、感動を灼きつかせる。凍りつかせる。感動は痛みとともに持続する。感動、と、言葉にしてしまったが、言葉などなくてもよい。人間が人間を馬鹿にして、人間であることを忘れかけているとき、深作欣二、あなたには、忘れないでいてもらいたい。

何かの渦中にある瞬間、事実そのものの厳粛さ、そこで露になる人間の根本的な孤独というものに、ストイックにこだわり、それが時とともに「落としどころ」を与えられて風化することに激しく反発する帷子。
それに、笠原は強く反応したのだろう。


自分だけの時間、自分だけの事実、その厳粛さに容易く安全な「落としどころ」をつけられ、処理されてたまるか、という気持ち。
そしてなんとか孤独自体を、そのままの形で誰かに伝えたいという気持ち。
この大いなる矛盾を、容易く「人は所詮、わかりあうことはできない」という結論として受け取り、処理してしまう現代にありがちな姿勢というのは、とても不遜なことだと思う。


瞬間を瞬間として、孤独を孤独として、誤魔化さず厳粛に受け止めようとする帷子の姿勢。
徹底的な取材で膨大なディティールを拾い、そこから構造や物語をあぶり出し、拾い上げる笠原。
これは、どちらが正しいとか間違っているとかいう問題じゃない。
そんな後だしの評価には、何の意味もない。
帷子のような姿勢を青臭さだと言うことも(例えばここhttp://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20030924で触れたm@stervision氏のシティ オブ ゴッド評のように)、笠原の姿勢を物語のとらわれたロマン主義ということも容易いだろうけれど、それだけではまったく無意味だ。


背景のない(ことが背景であるような)、理由なき暴力とか、バイオレンス自体が目的になったような、倫理を侵犯すること自体を目的化したような刺激中毒的な映画を、ひたすら前衛として持ち上げる「だけ」で事足りるほど、僕は鈍感でも変態でもない。
「たかが映画、たかが虚構」という言い訳に甘え、自分と世界との乖離への無神経を正当化するような態度は醜いと思う。

女。『仁義なき戦い』において、女は、女もいる、という程度にしか出てきていない。女に意味を持たせる、ことはあっても、女を女として出すことはない。男から離れようとする女。離れまいとする女。すべて図式でみえてしまう。なりゆきを描くことの困難。なりゆきがすべてでありながら、なりゆきを構成しなければならないという困難。男と女のことはなりゆきの最たるものである。

帷子の言う「なりゆき」が、物語を破綻させている自作「やくざの墓場 くちなしの花」を、『昭和の劇』によれば笠原は一度も観ていないという。おそらく、「なりゆき」に誠実に肉薄しようとした結果、自分の混乱が生のままで溢れたものが映画になったことを「フォームの崩れ」と受け止め、プロの映画人、脚本家として是としきれないものがあるのだろうと想像する。
しかし、僕にとっては、結果がどちらに振れようが問題じゃないのだ。「事実」と「孤独」を前に厳粛に呻吟し、「伝え得ない」という謙虚な認識と、骨がらみの拘りが綱を引く緊張感とリアリティがすべてだと思うから。
が、この緊張感は、「どちらでもいい」という傍観者的な帳尻の合い方からは、実は決して生まれない。
今度は僕自身が、その中途半端さを厳粛に受け止める番だ。


事実と孤独の重さ、そしてそれをそのままでは受け止めきれない人間の弱さと可憐さ、そこから生まれる複雑さと重さの根となる、戦争や貧困といった「大状況」が失われた平坦な時代にあって、笠原はバラバラな個の曖昧な思いだけで作品を構成することが出来ずに方向を見失い、帷子は筆を折って山梨のパチンコチェーンの経営者となる。


しかし、例えば帷子が、彼と同様事実に厳粛である故に、意味や物語が役者の生理となりゆきの後景と化し、そして意味を拒否したまま潔癖に堕ち、堕ちる必要もないくらいにユルく豊かになっていった現代からリアリティを乖離させていった神代辰巳の作品をどう評するか、読んでみたかった気がする。