Theピーズ 『アンチグライダー』

bakuhatugoro2004-03-07


今、「こう思っている」ことを正当だと思っていいのかどうかわからないような、本当に何かの問題の渦中にいる時、人はなかなかそれを言葉にできないもんだ。
冷静に対象化して距離を取ることができないから、刺さった棘に手が届かずにいたずらにのた打ち回るような状態で、要領を得ないまま、問題を一般化しようとして別のものに摩り替えてしまったり、ひとりでそれを抱えているのが辛くて、他人の中に見つけたそれに過敏になって叩いてみたり、問題の周囲を不器用に迂回して、かえって恥と傷を重ねたりもしがち。


そうしている間にいつか歳をとり、世の中の方も多少だらしなくなった分融通も利くようになったし、自分自身「恥じる」ことにも疲れ、「立つ瀬がない」ことにも慣れて、青臭いしんどさが風化していく替わりに、どこか感情の息が短くなっていく。
(先日のLIVEで、ワタナベマモル氏も、歳食うと曲はできても詩が書けなくなる、としきりに言っていたhttp://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040223#p1
物事の因果がなんとなく予測できるようになった分、闇雲に走って手傷を負うだけ、経験と実感を積み重ねることも難しい。
だとしたら、関心や表現の方向を、もっとフラットに広げて行けば良いんだけれど、自分の不安定な部分、恥ずかしさを誤魔化さずに、まっすぐに向き合い、引き受けることを「ロックだ!」と思い込み、それについて思い悩み続けること、そしてその中で疲れた自分そのものが「アイデンティティ」となってしまい、もはや取り返しがつかない状態。


私小説的内省の果ての行き止まりから、結局他に行き場はないことを悟って復帰した前作は、「そういう自分の、日々の行きつ戻りつの屈託を、ニュートラルに掬ってみた」といった風情の、淡々とした居直りが刻まれた一枚だった。
スローライフなんて言葉が流行り、ダメ人間を自称することを誰も本当に恥じなくなったような時勢の中で、このアルバムはそこそこ売れた。
しかし、「ずうずうしさ」という当世を生き抜くために必要不可欠の資質を欠いた、いちいちのことに恥や疲れを感じ続けてしまうような線の細い人間が、自分に資質に素直になってしまうことがそのまま受け入れられ続けるほど、本当に世間っていうは優しかっただろうか?
何より、どうにもならないなりに、ジタバタしたりまったりしたりのアップダウンのグラデーションがだんだん無くなって、「どうにもならないこと」に折り合いがついてきちゃってるような、透明な単調さが気になる。
これが、あと何枚も続くようだと死んじまうぞ! という気持ちで、俺はこのレビューを書いた。
http://www.axcx.com/~sato/senbikiya/j-pop/ps02.html


そして、俺などが心配するまでもなく、はる自身それに気付いたようだ。

ツナげ ニュートラルばかりで 芸がねぇ
不細工でも 不器用でも 動かすまで
『ギア』


溺れるモンの藁はゴメンだ
道連れんな
日曜じゃねぇんだ 次の朝
『残念賞』


あのコは塞いだままで 独りの夜をトばそう
クダらない時代と 感じない方へ
世知辛い悟りに 絡まない方へ
忘れない 忘れないで 行け 行け


何をしよう 何とでもなる 何にでもなってしまえ
『妄想パーティー


行きずりの電車に 焦らされていく
ヒトは何処に行く シッカリ励んでる
『脱線』

調度、『とどめをハデにくれ』の後の『どこへも帰らない』のように、思い付きで歯切れよくやりきったような曲に、今回は良い曲が多い。けれど、それぞれの印象も、トータルの印象も、段違いに重く、ざらついた肌触り。ギターのエッジの立ちかたも、リズムの重さも過去最高だ。
実はミディアムテンポの曲が多いのに、それが前作のように淡々と枯れた印象にならず、ひたすらハードでヘヴィー、言葉はキレてて凄いスピード感なのに、メロディの踏み込みは深い。
その分かつてのような、バカでとぼけた抜けの良さが失われたという声もあるかもしれないけれど、「ハートを漁る」ことの目的化に安住することを、必死に振り切ろうとするもがき方が真に迫っていて、そこが確かに凄みと色気になっている。
そうする以外「ヌルくて、嘘臭え」と思ってしまう体になってしまった、そして、もともとそれだけの甲斐性しかない、はじめから行き場なんかないままうろうろと40になったガキオヤジのリアリティ。


傷だらけの天使』リミックスでは,ついぞ聞くことのできなかった、最終回の後を生延び続けてしまっているオサムによる、オサムのための音楽が、正にここにある!
最高傑作。
死ぬまで闘え。