祭りのあとに さすらいの日々を

kurosawaさんの、『アイデン&ティティ』論を受けて。
http://d.hatena.ne.jp/kurosawa31/20040213#p2
俺なんか、まさに「降りられなくなった」ヤツの最たるものなんだけど(爆)、かつてのロック少年は、それが「差異のゲーム」だなんてまったく気付きも、思いもしてなかったなあ。
むしろ、そういう体面上の競争じゃなく、「本当のこと」をさらして話し合いたいと願ってた。そういう「気持ちだけは時間を越える」なんて、本気で思ってた。だから中島は、「差異のゲーム」に煽られることがあんなに恥ずかしいし、過度に拒否しようとするんだよ。
(一方でその後程なく、より魅力的な「本当のこと」、より共感されやすい、あるいはドギツイ自分であること、のゲームに巻き込まれていくのだけれど)
思いっきりマジな分、時代に置いていかれ挫折すると本当に疲れ果てちゃって、閉じこもって時間が止まっちゃったり、その裏返しでニヒリスティックに状況迎合的、最悪の場合だと御都合主義に開き直っちゃうような連中も多かった。
今の中央線は良くも悪くも消費に慣れてるというか、最初から半分降りながら差異のゲームの鮮度の部分を楽しむってバランスが取れてる若い人が多いから、実際はかつてのイメージと、もうかなり違ってますね。
あと、バンドブーム期以降の「考えるバンドマン」達には、今は程よくゲームに疲れ、良くも悪くも変われない自分を引き受け、あるいは意識的に定めて、(技術と音楽愛に支えられながら)中島のような背筋の伸びた確信犯になってる人がとても多いです。


本気で夢見た人ほど、高い代償を払うことになるものだけれど、開きなおりじゃなく現実に着地していく後退戦の中にこそ、僕は本当の人生があると思うし、そこを誠実に括ってる人達が好きですね。kurosawaさんが書かれてる「降りられなくなり方」は、最近の子っぽいなって思うし、そういう子は始めからそういった保険の利かない生き方を選ばない気がする(だからこそ、箱庭の中でずっと無自覚に、あるいは中途半端に降りられないでいるのだろうけれど)。
ちなみに、僕の『アイデン&ティティ』の感想は、こちら。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040123


動機づけ云々については、これはもう個人がどうこうできる問題じゃないから、kurosawaさんが過度に背負い込んで反省することはないです。あと、kurosawaさんがオトコノコたちに『大学で〜』を薦めたように、僕は、「降りる決意」を固めたい人には福田恒存『私の幸福論』(ちくま文庫)を、そして降りることのできない我が同胞たるすべての野郎共には、色川武大『うらおもて人生録』(新潮文庫)を贈りたい。