ここ数日、インフルエンザで寝込んでた時間を利用して

遅れ馳せながら、矢作俊彦の『ららら科学の子』と、近刊のヘミングウェイの足跡を辿るエッセイを読んでいるんだけど、なんだかベタベタに正直になっちゃってるなあ。
朝日の書評で亀和田武は「反省しない」この世代の根性を称えていたけれど、どっちかっていうと、ただ「反省できない」だけっぽいなあ...重信房子が捕まった時のピースサインと同じ匂いがする。


2chの矢作スレッドには、「『ららら〜』を映画化するなら、監督はゴジこと長谷川和彦、主演はショーケンだな」なんて、ほんと「そのまま」な書き込みもあったし...
彼等はずっと、青春のヒーローのまんまなんだな。


さらに前の戦中派世代の重厚さ(その裏返しの、筋金入りのリベラルさ)なんかと並べると、下の世代には「いい気な甘ったれナイーブオヤジ」と映るのもしかたないかもしれないが、俺は「青春」が本当に眩しく新鮮だった時代に青春やった、「いい時代を過し過ぎて懐疑的になることができない」この人達独特の甘い無邪気さや、どこかお人好しなロマン派ぶりが結構好きだ(信用できるかどうかは別にして。が、そんな俺でも、例えば去年の暮れにやってた『俺達の旅』での、鎌田敏夫の無神経、無反省さなんかは、いくらなんでもヒドイと思ったけれど)。


やはり自分自身、解放の臭いに憧れてたってことと、暢気で無神経な連中の残酷な無邪気さへの嫉妬混じりに、自他のエゴに敏感になることに対して、恥ずかしさも感じてたから。