鮎川さんのことを中心に、個人的めんたいビート体験の話(Twitterでの会話から)

うちの実家は本当に田舎だったので、中学や高校でバンドやってる連中はみんな当時流行ってたジャパメタ好きで。メタルって様式とテクニックを追求するジャンルだから、カウンターカルチャーとかアングラな気分とははっきり切れてるんですよね。それで、パンクやニューウエイヴは田舎の中高生にはまったく届いていなかった。
鮎川さんは、85年頃に桑田佳祐が企画したメリークリスマスショーに登場されていて、初めてギターを聴きました。桑田に「鮎川さんはストーンズスタイル」と言われていたのでちょっと注目して。それ以前にもスネイクマンショーでレモンティー聴いてたはずなんですが、自分の中にまだ文脈が無くてまったく反応できていませんでした。
高校生の頃、一気に日本のロックのメジャー化が始まって、メタル小僧たちはみんなBOΦWYに鞍替え。僕はストーンズ好きだったので、スライダーズやレッドウォーリアーズを聴いていました。
で、卒業後街場に出てバンドやろうとした時に、出会った2、3歳上の友達に、めんたいビート好きが多かったんです。中で僕はヤンキーっぽいのに棒っきれみたいなうら淋しい独特の詩心を感じるルースターズ(初期の2枚と、末期にロックンロール回帰した数枚)と、陣内のC調なキャラクターも音もポップなロッカーズが好きでした。モッズとARBは、非体育会系だった文系不良少年としては、九州男児っぽい硬派なところが当時はちょっと苦手で。でも、山善さんくらい突き抜けて崩れた感じだとシンパシーが湧いてくるのが不思議ですね…。
シナロケは山口冨士夫ちゃんを招いてのライブ盤が最初で、それから遡ってサンハウスも聴きました。サンハウスはキクさんのロック的なダンディズムを感じる詞世界も良かったです。でも、鮎川さんは一貫して、ポップでお洒落な人だなと。シナロケの音もそうですが、硬質だけど一貫して意味性や思想と無縁でひたすらスタイリッシュなのが独特だなと。だから、ロックに胸に刺さる情感や爆発的な解放感を求めてしまう自分のようなダサ坊は大はまりはしなかったけど、スタイルと初期衝動が一貫しているシンプルなロックンロールが好きで普通に楽しく聴いていました。本当に、あんなにポップでスタンスの軽い硬派ロッカーって、日本のロックに唯一無二だったと思います。
論という感じではなく、個人的な記憶の話に終始してすみません。

追記。
今はあまり語られなくなっているけれど、バンドブームの時大量に登場したビートパンク勢の多くがルーツとしていたのが、RCと並んでめんたいビート勢だった。ニューミュージック、シティーポップ的な進化と洗練一辺倒になっていたメジャーな若者音楽に対して、パンクをその強い主張以前に、シンプルなロックンロールのリバイバルと捉えた博多、北九州のバンド達の在り方が、更に当時風の平熱の日常感覚の中で焼き直されたとも言えるかもしれない。
ただ、中でシナロケは、フォロワーもカバーバンドも極端に少なかった気がする。やはり、鮎川さんのポップでスタイリッシュでかつ硬派な個性が、青い若者の衝動とじかには結びつきにくい、すぐれて独特のものだったことを示している気がする。

少年時代のマンガ&アニメ遍歴

確かに『がきデカ』、有名作だった割に、同年代の子供で熱心に読んでた友達、当時はいなかった(自分はいまだに食指が伸びず未読。積極的にはまるほどには、ギャグへの思い入れが濃くないのかも…)。何故だろう?ギャグマンガは鮮度が落ちちゃうのが早いという事情もあったのかもしれない。でも、梅図先生の『まことちゃん』は人気あった。つのだじろうの『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』も、子供はいかがわしい怖いもの見たさ大好きなので人気だった(しかし自分は何故か一貫してオカルトに興味が薄く…)。
とはいえ、小学生の頃は決まった小遣いというものを貰っていなかった事情もあり、毎週のように発行される週刊マンガ雑誌というものがあることを知った時は驚愕。毎週本を買うなんて子供にはとても無理だろう!?と。周りにも定期購読をしているような友達はおらず、たまに床屋に置いてあるのを作品絞ってまとめ読みしていた。(ただ、月刊誌だが、ヤマトが連載されていた冒険王が、近所で一番の金持ちだった石油屋の息子の家に揃っているのを見た時だけは、あまり物に執着のない子供だった自分も羨まし過ぎて、しばらく脳裏から離れず…)
あとは、ほとんど本屋で単行本を立ち読み。昔は発行点数が少なかったこともあるのだろうが、近過去のヒット作は、田舎の小さな町の本屋にもずっと棚に常備されていた。『あしたのジョー』『ブラックジャック』『009』『デビルマン』あたり。(健康優良児でなかった自分ははまらなかったが『ドカベン』や『釣りキチ三平』、それにこちらは贔屓の『キャプテンハーロック』や『銀河鉄道999』も連載中から常時全巻立ち読みできた)なので、子供の頃は旧作と新作の別をほとんど気にしていなかった。
中学に入ると、毎週ジャンプを買ってる友達が時々。自分は毎週購読する財力は無かったが、借りてみんなで回し読み。好きだったのは宮下あきら『私立極道高校』『激極虎一家』、車田正美リングにかけろ!』『風魔の小次郎』、平松伸二『ブラックエンジェルス』(『ドーベルマン刑事』も遡って立ち読み)。『キン肉マン』にはあまりハマらず。本宮ひろ志も、少年マンガとしては旬を過ぎていたのかほぼスルー。
マガジンはスポーツなど身近過ぎる題材を扱う連載が多かったので、何となく暑苦しくて苦手だった(でも、『悪役ブルース』は好きで床屋でまとめ読みを)。サンデーは逆におとなし過ぎて、毎日無法の学園生活を送っていた自分にはひっかかりがなく。ただ、自分ははまらなかったが、あだち充作品は、不純異性交遊禁止時代の高級エロ本的な人気があったな。コンサバな虫のいい願望って雰囲気が、個人的には後の『島耕作』の印象と重なる。

しかし、自分の子供時代は、マンガよりも圧倒的にアニメ(当時はテレビまんが)。何といっても毎日タダで夕方から垂れ流されていたという事情がデカい。テレビの記憶は、ほぼ『マジンガーZ』の放映開始と共にはじまり、小学校入学の前年に『宇宙戦艦ヤマト』と決定的な出会い。再放送含め特に好きだったのは『侍ジャイアンツ』、『あしたのジョー』(ジョーもアニメが先)、『ど根性ガエル』『新造人間キャシャーン』『ガンバの冒険』など。やがてヤマトの映画化によるアニメブームが小学生の半ばくらいから始まり、大はまりしてアニメを卒業出来なくなる。この頃一人衝撃を受けていたのが、夕方ジャリ向け泡沫ロボットアニメとしてひっそり放送されていた『無敵超人ザンボット3』。当時は小学校も3、4年になるとロボットアニメなど恥ずかしいという時代だったから、こっそり一人で打ちのされていた。後に『ガンダム』にはまり、創刊され始めていたアニメ雑誌で、制作者が同じだったことを知り、驚くと共に納得。
その後中学時代は、無法の学園生活の日々の無意識の支えのように、富野由悠季監督作品はじめ、サンライズアニメに入れ込む日々(一番好きだったのは『戦闘メカザブングル』)。
しかし、『うる星やつら』や『マクロス』あたりからの、アニメファン出身の制作者による、アニメファン向けのフィティッシュな作品が主流になると共に、ドラマ派の自分とアニメが噛み合わなくなっていく。
話が前後するがもう一本、特別好きだったのが名作劇場の『赤毛のアン』。貧乏な苦労話や、健康優良児が活躍する教訓的な話が定番だったこの枠で、設定こそ孤児だけれど、不幸も苦労話も皆無、わがままで個性的過ぎる妄想少女アンがのびのび暴れる本作には、非常に開放感を感じた。田舎が舞台でありつつ田舎が美化も否定もされず、街からやってきた自由人たちがほどのいい風通しのよさをもたらすいいバランスも理想的。本作はいまだに、自分の幸福感のベースのようになっている。

唐十郎「色川武大を演じられるのか」(「海燕」91年5月号)

色川武大氏の舎弟と思っている人は、かなりの数で、僕は遅れてきたファンだった。あの時は、僕の「下谷万年町物語」という芝居の打ち上げ楽日で、『ハードボイルドだど』の流行語を、昔はやらせたコメディアンのKさんが、色川さんと飲んでいた。「話の特集」の矢崎編集長に、前に紹介されたことがあったが、色川さんの視線は冷えていて、少し恐い気がした。コメディアンKさんに手招かれ、色川さんの前に再び出ると、お酒も入っていたのか、色川さんはまるで違う人だった。
この頃、僕は色川さんの書いたものを、ニ、三本読んでいて、最も好きなのは、一つの短編であり、そこで、小さな弟と浅草へ遊びに行った頭でっかちの(うすのような)兄が、夕まづめの、帰らなければならない時間になって、都電の駅で、なかなか来ない電車を待ちながら、辺りの気配が暗くなっていくごとに、弟が「来ないよお」と、兄をゆさぶり、その声を聞いている兄のほうも、都電が、絶対に来ないような気になっていく、苛立ちをおぼえるその文章が、僕の胸に深く残っていった。
ハードボイルドだどのKさんに手招かれたそのきっかけで、僕はこの夜、遅れてきた舎弟になってしまった。その飲み屋で、二度目に会った夜、この時は、コメディアンのKさんは居らず、色川さんの相当に古い舎弟が一人居たが、僕は色川さんに妙な使いっ走りをやらされた。といっても、どこかに走らされたわけではなく、店の赤電話に三十円を掴まされ、メモした所に電話をかけろと言われただけなのだが、また、相手が電話に出たならば、それは固有の女性であり、すぐ、ここに来いと言えと託されたわけであり、ダイヤルを回すと、相手の女性が出てくるのには少し時間がかかった。ちょいとお待ちをの声の後に、人のざわつく気配と鉦の音なども聞こえ、そこは何をやっている場所か判断しかねた。「今、呼びにいってます」と、もののニメートルも離れてない所で酒を飲んでいる色川さんに伝えると、優しげに色川さんはうなずいた。この時、僕になぜ電話をかけさせているのか分からなかったが、色川さんの笑っている人なつっこい目尻をみていると、そんな疑いは消えてしまうのだ。
はあいと相手の女性は遂に出て、何用かと言うので、すぐ、こちらに来るように色川さんが言ってますと伝えると、今、宅が死んで葬式の最中だと向こうは答えた。
これには、僕も強要できないと、色川さんに、それも目の前に等しき所にいる色川に言うと、それでも来るようにと、色川さんは命じるのだ。
笑いながら、口の中に余った唾液を舌の裏ですすりあげるようなチェッという音をさせ、甘ったるく彼は笑う。
「それでも来て下さい」と伝えると、なぜ、こんな時にからかうのかと、相手の女性は泣きだした。「泣いてます」と、僕が伝えると、そのては喰わぬと色川さんは言う。そればかりは、口伝しきれず、僕は赤電話の前で、ただうろたえるだけだった。そのうちに、こうした光景はどこかで見たようでもあり、これはチンピラだ、昔チンピラの兄貴分と子分が、暇にまかせて遊ぶ時のパターンだと気がついた。色川さんを観察すると、グビリと一杯やりながら、目尻は笑い、その座っている体は椅子ごと床から微かに浮いているようでもあり、が、このやりかけた冗談から足を抜く間もみつけられず、色川さんを観察しても、どこかマジのエーテルに包まれている。
去年の夏、色川さんはもういなかったが、僕はテレビの二時間ドラマ「恐婚」で、色川武大を演じた。この撮影中に、いつも思い出していたのは、その夜のことである。
日活のスタジオに、色川さんの奥様が見に来られ、生前の色川さんとドラマ中の色川氏を比較され、唐さんのほうが神経質ねと一言のもとに批評された。妙な使い走りをしてしまったあの夜のことを思うと、神経質になってしまうのかとも思えたが、僕の演じた色川さんはそんなに神経質でなく、のほほんとしている。が、それも奥様の目から見れば、神経がトガっている側の人間かもしれない生物の領域に入ってしまうのだ。とはいうものの、あの短編で読んだ兄の神経、都電が来ないと震えている弟の手を握って、その弟の神経に感染している色川氏ほど、きゃしゃなものはない。僕の色川氏を演じる窓口はそこだった。では、新宿の飲み屋で、僕に使い走りをさせた色川氏とはどこで、それが結がるのか。それを応用するような場面は、シナリオ中、女房と離婚したその日、水風呂で、女房の名がある表札と水の中で遊ぶところや、女房の再婚の席に現われ、知り合いの仲人に見つかると、スタスタ帰ってしまうひと駒にあったが、演じられたものは、茶目っ気のあるフェティシズムの領域を出てはいない。
あの飲み屋の夜、二人で味わったものは、冗談の中にも黒い爪のようなものがあった。チンピラの残影が、酒を荒んだものに変えていた。と書くと、また恐ろしくなって、どこか違ってしまう。
奥様が言う「神経」と、あの夜の「冗談」を結ぶには、色川氏の病気…ポストに手紙を投函しかけて眠ってしまうという場面を作らなければならないようだ。現在、第二弾の準備中であるので、そのことをライターに言ってみようと思っている。

(「海燕」91年5月号)

色川さんと唐さんの間には、拘束も固定した力関係も存在していないからそうは言えないけれど、これが固定した世間の人間関係の中で行われ、やられた方がパワハラだと訴えれば、今ならパワハラということになるだろう。唐さんはそんなふうには思わなかっただろうけれど、そうした拘束の無い冗談の中に、優しく繊細な人の中にふいに覗いたサデァスティックな荒みの痕跡のようなものを確かに感じたから、こうして強く印象に残ったのだろうと想像する。そして、こうした荒みは、繊細で意識的にならざるを得ないような人にこそ、強く刻まれるものではないかとも思う。
この時の色川さんと同列に語っていいのかどうかわからないが、チンピラでなくとも、僕の時代の運動部や不良仲間の上下関係の中でも、こうした無理難題を命じて、困惑する相手の様子を見て楽しむという光景は、ごく日常的なものだった。僕は過敏で虚弱な方だったから、自分は決してこんな真似はすまいと強く反発したりもしていた記憶があるけれど、かといってそういう先輩や友人に抗議するような勇気があったわけでもなく、また、ちゃっかり忘れているだけで 、もっと幼い頃に弟や下級生に対して似たような気持ちをぶつけていなかったとは到底言い切れない。
「あってはならない」「許されることではない」こうした断言が、今はあまりにも簡単に、その場の勢いや思い込みだけでなされ過ぎると思う。仕方ないというのではなく、こうした黒い気持ちは自分の中にもまま生まれるものだから、そう意識して自制しようという努力や姿勢は大切だけれど、あってはならないと言ってしまうと、あってしまう人間性というのがこの世の埒外に置かれて、まず向き合うこと自体が厭われるようになってしまう。そして、却って陰にこもり、拗れていく。
自分たちを善人だと信じようとしすぎ、思いすぎて、却って世の中も言葉も空々しくなっていると感じることしばしばなので、時々こうした黒い気持ちに敢えて光を当てて、書きたくなる。

藤沢映子「尾崎豊・賛否両論!生身の19歳。「彼」についてのある考察。」(パチパチ85年6月号)

ニューヨーク、52ndストリート、7thアベニュー、紀伊国屋ブックショップ。尾崎豊はパチパチNo.5を立ち読みしている。
そのころ編集部には、日本各地の書店でパチパチNo.5を手にした人たちから、何十通という手紙が届いていた。私個人宛のものから「尾崎豊係」(そんな係ホントはないのデス)と書かれたものまで、4月10日現在でとうとう100通を超える数の手紙。もちろん、しっかりすべて読んでいる。なかにはカセットに意見を録音したものまであった。
賛否両論。いずれにも、尾崎の歌を愛するが由に勢いあまって書かずにはいられなかった心情がほとばしっていた。
結論から先にいうと、私は生身の尾崎豊と彼の作品、ステージが大好きだ。ただ、巷で浮遊していた「尾崎豊」が嫌いになりかけていただけである。
だから、思いっ切り彼のだらしない部分や人間味ある部分を書きつらねてみた。もし、彼が巷のいう「新世代のオピニオン・リーダー」で「悩めるディーンの救世主」で、聖人君子でストイックな人間だとしたら、もうとっくに歌なんかやめてお坊さんになっている。それとも、イエス・キリストのような生き方をしているはず。それができないから、歌が生まれているんだと思う。

手紙その1
「私は17歳の彼が好きです。今回の記事で裏切られたって気がしました。NYに行ったり、車乗り回したり。ひとり暮らし始めたり。JUNの服を着たりする尾崎なんて見たくない。勝手に偶像作ってるっていわれても仕方ないけど、大好きな人がどんどん変わってっちゃうのなんていやだ!」(17歳)
尾崎がお金を手にすることはいけないことなのかな?悪いことして得るモノならいざ知らず、彼は、私たちが原稿を書いてお金を得ること、朝9時半から6時まで力仕事をやって日当を得ることなどとまったく同じ、正当なお金を手にする権利がある。そして、フツーの男の子と同様に、免許を取れば、女の子のひとりでも助手席に乗せてドライブしてみたいと思う。彼女の前では、男がレストランのお金くらい払いたいと思う。たったそれだけがいけないのかな?17歳でいて欲しい人のために、ずっと学校のこと歌っていくことが必要なのかな?17歳の尾崎の支持が高いからって、自分にウソついて…。ひょっとしたらそのほうがレコード売れて、お金持ちになるかもしれない。そんなウソのために?彼がお金のために歌うのなら、もっとうまくたち回ってるよ。オピニオン・リーダーのことばにのっかって、カリスマになって、うまく私生活隠して、ウンともうけて、そのお金で事業始めればいいんだから。
ひとり暮らしってどう?
「周りの人には、お前だらしないからダメだっていわれたんですよね」
家具とかそろえたの?
「なんにもない。机もなくて、詞書くのに困ったから事務所に泊まり込んで曲作ったりしてた。ウチ、ヒドイんですよぉ。シャワー浴びようとして、「あー疲れたァ」ってちょっとシャワーの取手のところに腕かけたら、シャワーの口がパカッて取れちゃったの。だから今はホースから水が出てるのと同じ状態でシャワー浴びてます。(笑)
あと、バスルームのドアをロックしたまま外から閉めてしまったの。ほら、取手のまん中を押すと閉まるヤツね。それでとなりんちにわざわざ行ったんだよね」
どーしてとなりに行くわけ?となりの人がカギ持ってるの?
「いや、持ってるんじゃないかなあって。(一同爆笑)結局、ドアをドライバーでこじあけて、今だにドアはこわれてます」
ちゃんと家帰ってる?
「ボク、昔から家に帰らなきゃいけないっていう意識ないんです。路上で寝ても部屋で寝ても同じだって、家に帰らないで、駅の階段で寝てたんです。よく落ちなかったなと思うけど(笑)」
まるで浮浪者だね。
「自分の根城って意識ないんです。なにもなくなっても未練がないというか、流されるというのじゃなく。ものに固執しないですね。小さい頃からそう。あまり物を欲しがらなかったから」

手紙その2
「今回の記事、とても悲しかったです。あなたのこと許せません。前までホメるだけホメておいて、その結果が今回の記事なのですか。「だらしなくて矛盾だらけで、チンピラでどうしようもない尾崎」あなた自身はどうなのですか?あなたはそんなにすばらしい人なのですか?あなたのような人が尾崎クンを嫌おうが私には関係ないけど、「まだ出発したばかりのシンガーソング・ライター」が騒がれてはいけないのですか?あなたたち記者の人が私たちよりも大げさに騒ぎたててしまったクセに。「スゴイ」と書いて読者にも「スゴイ」と思わせておいて、今度は「キライ」と書いて、読者にもきらわせるつもりですか。尾崎クンは変わっちゃいけないのですか?車を買っちゃいけないのですか?業界ズレするなというのですか?それならあなたはどうなんです?」(17歳)
ごもっとも、私なんかちっとも偉くない。偉くもない人間が、公共の誌面で人のこととやかくいうのはホントは間違ってるかもしれない。でも、私は生身の尾崎豊と、彼の作品、ステージが好きだから、だらしない彼にガッカリして去っていく人がいてもかまわないと思った。浮遊している「尾崎豊」のイメージとともに去っていけばいいと。尾崎は変わるべきだし変わりつつある。車を買ってもいいじゃない。25歳の友人のようにカラに閉じ込めたくはない。ホント、あなたのいう通り。

手紙その3
十七歳の地図のなかの叫びを、彼が在学中にやっていたら、彼自身もいってたように誰にも受け入れられなかった。単なる「反逆」とか「社会適応能力ゼロ」とかいうことばにしかおきかえられなかったんじゃないかと思う。逆に、わかってもらえない悲しみにせっぱつまってたからこそ、ああいう歌は生まれたんだと思う。少なくとも先生たちなんかにはヒンシュクかってたと思う。なのに、一歩シンガーっていわれるようになると、こんなにも大絶賛浴びるのはなぜ?
尾崎豊を知ってから、ずっと私、恐れていたことがある。「十七歳の地図」の彼がカリスマになってしまって、彼の中でおこれ出来事が、彼の中の変化が許されなくなってしまうこと。ー中略ー尾崎君がやたらとクローズアップされ、多くの高校生が盛り上がっているのを見ていると、ほとんどの人が自分では認められない自分の弱さを、ていのいい形で弁解してもらっている、というか偽りの強さでしかないものを本物だと確信して代弁してもらっているつもりでいるように見えて仕方ないんです。やさしさっていうものが、傷のなめあいや、なれあいにはきちがえられて、尾崎自身に救いを求めているように思えて仕方ないんです。
ほんとに勝手な憶測だけど、尾崎君本人にもそういう危機感と、自分のおかれている立場とに少なからず葛藤しているんじゃないかなって感じる。もしそうであっても、私には支えてあげる力もない。こんなこといってたね。「現実ニ勝ルモノハ何モナイト思ウンデス」わかってる。わかってるからこそ、私はこの現実に混乱してしまう。だって今の私に何ができるというんだろう。「本当の尾崎を理解する」なんてこと、自己満足や気休めにすぎなくなってしまう。彼の人生で、彼の生き方の問題なのに…。バチバチ読んだとき、しばらくなみだが止まりませんでした。すごく生意気かもしれないけれど、「ありがとう」っていいたかった。あの記事に抗議がくるようならもうおしまい…」(17歳)
結局、彼女の危惧する抗議の手紙はゼロに等しかった。マスコミに踊らされているのは、やはりマスコミなのかもしれない。

手紙その4
「カッコ悪いとこ見せられて、「ああ、だから尾崎がいるんだ、彼の歌に危なっかしいとこがあるんだ、たがら私は好きなんだ」って思ったんです。カッコ悪さのなかに、尾崎のカッコ良さがどうしてなのか解ったような気がします」
骨折中、松葉ヅエを放っぽり出してお酒飲んで、酔いつぶれて、六本木の公衆便所に気づいたら寝ていた尾崎。
ギブスをはずす日、病院に行ったら、足の裏のギブスの石膏がほとんどなくなっていて、先生にこっぴどく怒られた尾崎。
入院先でインタビュー中。通りがかった看護婦さんに「こらっ、食事食べないの?」といわれた彼。「今、ほら、仕事中だから、あとで…」といってマズイ病院の食事からのがれようとする。それをみすかされて、いせいのいい看護婦さんにボカッと頭を殴られた。「イテェッ!」と首をすくめてニガ笑い。かと思うと、去っていく看護婦さんの後ろ姿に「イエーイ!後ろ姿がステキッ!!」とヤジを送った尾崎。
骨折中にまつわるエピソードだけでもこんなにある。チンピラでやたらトッポイ。手を離すと糸の切れたタコみたいにフワフワとどこかへ飛んでいって、いったい何をしでかしているやらワカラナクナル。そしてやたらムチャクャな痕跡だけがその通過したあとに残っている。
「もう、どーしようもないヤツだよ」
私たちはこういいながら、彼の痕跡を知るたびにゾクゾクする。だって、こんなヤツこれまで見たことないから。とんでもないバカか、ものさしで計れないほどの天才なのか…。

 

手紙その5
「尾崎がメジャーになっていく。業界ズレしていく。何か間違ってると思うんです。メジャーでニコニコ手を振る彼の姿なんか見たくない」(18歳)

いったい何をしてメジャーといいマイナーというのか、よくこのことばを使う私にも分からないことが多い。もし、テレビのランキング歌番組に出ることがメジャーだとしたら、ファンでもない人から、ただ茶の間に顔が知られてるユーメイ人だからといってサインせがまれるのがメジャーだとしたら、明らかに彼はマイナー。レコードが売れている人をメジャーというなら、アルバム『回帰線』がアルバム・チャートの1位に輝いた彼は、まぎれもなくメジャー。
聞いてもらえなくてもいいなんて思ってレコードを出す、曲作る人っていやしない。
「3枚目までは、わき目もふらずガツガツして作っていっていいと思うんだ。周りの評価とか売れる売れないってことを気にしている余裕もないし、そのあと、もっとゆったりした気持ちで曲が聞けて、そこから誰か聞いた人がインスパイヤされる、そんな歌がいちばん必要だと思うんです。これは、今思ってることだから変わっていくかもしれないけどね(といったのはNYへ行く直前のこと。もちろんアルバムが1位になるなんて知る由もないときのこと)ただ、ゆったりしたっていっても、それが変に今の芸能界に染まった売れ線とかじゃなく、芸能界を意識しない売れ線ってあると思うんです。ブルース・スプリングスティーンとか、ビリー・ジョエルとか、ジャクソン・ブラウンとかっていう人たちって、自分のやりたいようにいい作品を作って、それが受け入れられてるでしょ?でも、僕らって、きっとどこかある部分で、売れ線というのに対する目みたいなのは持ってると思うんです。そして、そこで悩んでる人が多いと思うんです。だけど、日本では、わりと自分のやりたいことはこうだから、受け入れられなくてもオレたちはこれでいいんだ、みたいなのあるでしょ?売れ線で悩むなんて、そんなのカンケーねえぜっていうのがカッコいいみたいなものがあるでしょ?でも、ホントはそうじゃないと思う。自分達のスタイルをいかに伝えていくかとか、そういうことでもっと悩むべきだと思うんです。それがないから、自分達のやりたいようにやっているのにどうして分かってくれないんだって、どんどんマイナーなほうに走っていってしまう。ボクはそうなりたくない。ただ、今の既成のあるものを利用して、その中で地位を築いてやりたいことをやるっていうのは、ボクは、先が見えるような気がするんですね。そういうやり方はとりたくない。ボクはやっぱり作り出していくってことをしていきたいから。既成のところでやれっていわれるのはもうそれだけで抵抗のある人間だから…」

こんな彼のことばにひとつだけつけ加えるとすれば、アルバム1位のメジャーとブームとは違う、ということ。
3月下旬、彼はNYから無事帰ってきた。
おそらく、帰ってきた彼は、これまで以上に取材にナーバスになっていくだろう。以前だったら、2時間も必死になって相手に伝えたと思ったことが、たった5センチ四方の記事にしかならなくても、「ま、こんなものか」と思えた。必死になって話したことがまるで違う解釈のされ方をして記事になっても、それは、自分と相手の価値観の違いだとほったらかしにもしておけた。
「自分の発した信号が、たとえどんなに小さなものでも、それは自分の表現するものへの責任となって返ってくるんですよね。これは取材だけにとどまらず、ステージでも、レコード作りの末端まで」
彼は、すべてにほったらかしにできないことに気づいた。
語ることが歌を補足することだといっていたこともあった。
でも、もう彼は、多くを語ろうとしないかもしれない。「伝える」作業を「作る」彼は、ブームでなくメジャーのなかでどうやっていくべきか、新たな闘いが始まっている。
5月6日、立川市民会館を皮切りに、8月4日まで36本のツアーが始まろうとしている。

(バチバチ85年6月号)

https://bakuhatugoro.hatenadiary.org/entry/2023/01/08/171933
での藤沢さんの「最近、「尾崎豊」が嫌いになっている」発言への反響特集。手紙その3の彼女に非常に共感する。十代の尾崎は良いファンを持っていた。「そうしたい」と思っていることと、「実際にどうしているか」ということには、非常に大きな距離がある。そして、この距離への無自覚、これを曖昧にして自惚れていることによる人や社会の欺瞞は、情報化や匿名的言論が広がった現在の方が更に深まっているから。大方に不愉快がられようと、何度でも繰り返し言い続ける必要のある指摘だ。
「車に乗るのは悪いことなのか?」「自己主張をする歌で人気が出て、大金を得ることは、正当と言えるのか?」
こういうことは、実際にそれが社会的に成立していて、ちゃんと商売にもなり、法にも触れないならば「そういうものだ」と思って深くは問わないのが、当時も今も大多数の常識だろう(商業主義をまるごと疑うようなカウンターカルチャーの気風も、近過去の流行の反動で完全に廃れて、一般的で無かった)。
しかし、ただ現実に器用に適応すればそれでいいのか?と問う歌で出発した尾崎は、その問いを、まっさらな若さ故の、一時の不安定な熱情として、常識の範疇でやり過ごしてしまうことをしなかった。貧富の格差は正当なことなのか?この国にたまたま生まれた自分たちは、その豊かさをただ享受していていいのか?将来に保険をかけた納得よりも、純な熱情で今を生ききるべきではないのか?
とはいえ、そうした自分の中の多面性をどう考えたらいいか判断する引き出しも、現実に社会にはたらきかける力も無い。現に豊かさを楽しみ、それに馴染んで生きている自分もいる。社会や人間関係に理不尽を感じたり、そこに対する道徳や倫理が曖昧であることへの苛立ちも持っている。それ以前に、太く短く生ききるか、じっくり堅実に社会と向き合うか、どちらにもハラの決まらない自分への恥ずかしさもある。
自分は何にどこまで力を尽くすべきなのか?倫理をどこに定め、どこまでの主張なら責任を持てるのか?現在持てる責任の範囲に納得していいのか?もっと努力し、主張もすべきなのか?それとも、人それぞれの事情を理解して、寛容に諦め納得するべきなのか。
敢えて問うていけば、いちいちのことに簡単に答えは出ない。結局、ともかく生きて、時間と経験を重ねる中で、こうしか生きられない自分の身幅を痛感していくより無いのだ。それだって、社会の条件も、そこで生きる人の感覚も変わっていくから、意識すればするほど葛藤はずっと付きまとう。
それは、思想家でも活動家でも何でも無い1ミュージシャンが、引き受けるべき領分なのか?ロックやカウンターカルチャーへの遠い趣味的憧憬こそあっても、ロックファンも音楽業界も、それを真に受けて引き受け、身を持って生きるような姿勢も感覚も持ってはいなかった。それは、藤沢さんはじめ、尾崎の周辺の人々だって、残念ながらそこは同じだった。この記事も、あくまでプロのシンガーソングライターの範疇で、どうすべきかという枠内の話に留まっている。
それは当時の(おそらく今も大多数の人々にとっては)常識的な感覚で、責められるような事では到底無い。さらに、時代は豊かさがもたらした趣味と消費に自足するミーイズムに向かい、尾崎の社会や生き方丸ごとへの問いは、趣味の世界に安定したロックファンたちの共感を失っていく。そうしたまだ「今」しか知らい若過ぎたロックの世界のを超えたところで、根本から人間を見つめ考え続けている先達との出会いがもし彼にあったなら…と、ついないものねだりの「タラレバ」を思ってしまう。たとえば井上陽水阿佐田哲也と出会ったように。

左翼はいつ「反スタ」を忘れたのか?

かつては反帝反スタが左翼の定番スローガンだったはずが、いつの間にか反スタが消えて、あまつさえ左の全体主義化の指摘を過敏に嫌うようになったのはいつからだろう。消費社会の恩恵で一度なし崩しに消えかけていたために、歴史の連続性が断たれて党派性の怖ろしさが忘却されてしまったのか。
おかげで若い左派やリベラルは、小権力者と烏合の衆のミニ恐怖政治だらけ。何の警戒心もなくウォークだのキャンセルカルチャーに乗っちゃうの、つまりそういうことだろう。
みんな同調圧力を口では嫌うが、政治党派の現場ほどこれが酷い場所も無いから。

イデオロギー批評ナンセンスだったはずの大方の映画評論家など、自分の軽薄な変節をいったいどう考えているのか。
世間まるごとぐるみの転向、変節というのは、内部の人間にはそれと意識されないものだ。世間が政治疲れした時は、トカゲの尻尾に全部押し付けて、また平気で元に戻ってしまうのだろう。

駄菓子を食わなかった子供たち

手塚先生、僕らの世代だと、まだ週刊マンガ誌を毎週読むような財力は無かった小学生の頃、初めて買ったマンガが『ブラックジャック』というヤツは多かった。『サンボーグ009』『ドカベン』あたりと並んで。藤子不二雄もコロコロ創刊とアニメ化による『ドラえもんリバイバルまでは、学年誌に載ってる保護者公認の日常風景みたいなもので、子供が積極的に好むという感じではなかった。アニメ化や特撮ヒーロー物の影響で石森章太郎永井豪の方がずっと人気が熱かった。あとは梶原一騎原作のやさぐれ&スポ根マンガ。自分は初めてハマったマンガは『あしたのジョー』。
その後はヤマトからの流れで松本零士ファンに。
中高時代も手塚治虫は、大好きなのはリアルタイムの洋楽だけど、一度ビートルズくらいちょっと聴いてみるか…くらいな位置が一般的な感覚だったと思う。マンガもまだ若くてしっかり大衆文化だった。そして、子供が自発的に夢中になるのはたいてい駄菓子のようにいかがわしいナマモノなんですね。
だから、僕が手塚先生に本当に強い関心を持ったのも、『まんが道』に登場するまんが少年達の神様としてだった。

そういうわけで、親から与えられたジブリやディズニーだけで育ってしまう子供とか、はっぴいえんどつげ義春の本ばかり権威となって出版され続ける様子というのはどうにも学校的で、皮膚感覚で苛立ってしまう。それじゃあ、心の中に雑然とした迷路や自由は育たんよなあと。

蛸壷の中から庶民を憎む純粋培養インテリたち

https://blog.goo.ne.jp/mangaya0022
漫画屋ブログの塩山さんの、「左右社や今の晶文社は誰を対象にしているのかわからない」という感慨。少し深めた考察を読んでみたい。釈迦に説法のような話だが、今の邦画もそうだけれど、ジャンルや業界そのものが左前になると、利鞘のいい高級野菜を作る農家のように、金持ち顧客だけに向けた商売になってしまう。加えて下半身が消費個人主義(社会「趣味」とココロの問題)に閉じきっている若い左派には、庶民と共に歩む姿勢など初めから皆無(むしろまったく交わりの無いまま、ごく自然に嫌悪と軽蔑の対象。だから大衆文化なんて下品なものもわからない)。
不愉快でもしんどくても、他者を失った理念や好みだけがひたすら純粋培養されていくのは不健康なことだ。緊張感が失われると、物事の重要度の感覚や、優先順位の判断が狂っていく(敢えて逆らう独自性も失われる)。棲み分けが進み過ぎ慣れすぎた蛸壷社会での、純粋培養お勉強エリートの紅衛兵化に気付いていただけると良いのだけれど。