左翼はいつ「反スタ」を忘れたのか?

かつては反帝反スタが左翼の定番スローガンだったはずが、いつの間にか反スタが消えて、あまつさえ左の全体主義化の指摘を過敏に嫌うようになったのはいつからだろう。消費社会の恩恵で一度なし崩しに消えかけていたために、歴史の連続性が断たれて党派性の怖ろしさが忘却されてしまったのか。
おかげで若い左派やリベラルは、小権力者と烏合の衆のミニ恐怖政治だらけ。何の警戒心もなくウォークだのキャンセルカルチャーに乗っちゃうの、つまりそういうことだろう。
みんな同調圧力を口では嫌うが、政治党派の現場ほどこれが酷い場所も無いから。

イデオロギー批評ナンセンスだったはずの大方の映画評論家など、自分の軽薄な変節をいったいどう考えているのか。
世間まるごとぐるみの転向、変節というのは、内部の人間にはそれと意識されないものだ。世間が政治疲れした時は、トカゲの尻尾に全部押し付けて、また平気で元に戻ってしまうのだろう。