蛸壷の中から庶民を憎む純粋培養インテリたち

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漫画屋ブログの塩山さんの、「左右社や今の晶文社は誰を対象にしているのかわからない」という感慨。少し深めた考察を読んでみたい。釈迦に説法のような話だが、今の邦画もそうだけれど、ジャンルや業界そのものが左前になると、利鞘のいい高級野菜を作る農家のように、金持ち顧客だけに向けた商売になってしまう。加えて下半身が消費個人主義(社会「趣味」とココロの問題)に閉じきっている若い左派には、庶民と共に歩む姿勢など初めから皆無(むしろまったく交わりの無いまま、ごく自然に嫌悪と軽蔑の対象。だから大衆文化なんて下品なものもわからない)。
不愉快でもしんどくても、他者を失った理念や好みだけがひたすら純粋培養されていくのは不健康なことだ。緊張感が失われると、物事の重要度の感覚や、優先順位の判断が狂っていく(敢えて逆らう独自性も失われる)。棲み分けが進み過ぎ慣れすぎた蛸壷社会での、純粋培養お勉強エリートの紅衛兵化に気付いていただけると良いのだけれど。