思索的な文章の復権

どんな作家の文章や発言を読んでいても思うことだけれど、何か所与の物への感想を語ると、対象が具体的だから言葉も細かく行き届いたものになり易い。
しかし、人間一般や社会をどう見るか、どう生きるべきかといった思索を語ると、時勢に流されたり、特定の世間や人間関係に流された粗が浮かび上がったり、根本的な姿勢の無自覚や底の浅さが露わになったりしてしまうことが多い。
多くの人が自分たちの現実に概ね満足し、不動のものだと感じている時代には、思索的なタイプの書き手は粗が目立ったり、文章の結実度が低く見えたりして部が悪かった。しかし、このところそうした粗があまり気にならなくなり、不確かさを覚悟で思索し続けてきた人の文章が、重みと説得力を増して感じられることに、過去の自分を含めた様々な人たちの文章を読んでいて気付く。世の中が変わってみないと、見えない価値もあるということを痛感している。