年末のご挨拶と、私的ベスト5

同年輩の友人ライターたちとの恒例行事になっていた、年末の私的ベストテン、昨年は書くことができませんでした。
実は2年ほど前、私生活で大きな変化があり、それをきっかけに心身の調子を崩してしまいました。
抑鬱症状が出たことは、以前にも何度かあったのですが、その時は薬がなかなか合わず、面倒で呑むのを止めてしまったりしているるうちに自然に良くなったので、今回も最初は軽く考えていたのですが、段々活字がまったく追えなくなり、テレビや映画を観るのも怖く、起き上がって近所に買い物にでかけるのもしんどいような状況になってしまいました。
例によって処方して貰った薬がなかなか合わず、副作用に悩んだりしたんですが、知人に紹介してもらった心療内科との相性が良くて、徐々に小康を取り戻しつつあります。
それでも今年の前半くらいまでは、通院するにも電車に乗るのが怖かったり、駅貼りの看板を見ているだけで世の中にとり残されているような堪らない気持ちになったり、相変わらず活字や映像が受け付けにくかったりしていたのですが、夏あたりから少しずつ映画を観に行ったり、本を読んだり、負担の少ない取材仕事をこなしたりできるようになってきました。


長時間の外出や面会が難しいような時期がかなり続いて、多くの方に不義理をし、またご心配をかけてしまいました(小心者で、病気のことも最低限の方にしか伝えていなかったので、たまにお会いする方の前では無理に平静を装ったり、そのため結果的に却ってご心配をかけてしまうようなこともしばしばでした)。
そんな状況の中で、何人かの友人、知人には、立場を逆にして考えれば、とても自分などには考えられないような、ほとんど信じられない程の御厚意を受けました。本当にお礼の言葉もありません。そうした方たちの多くは、同じ病気を患った経験があったり、今も闘病中の方でした。


病気の直接の原因は、生活上の大きな変化だと思いますが、若い頃は結構平気で不安定な生活を続けていたのが、ここにきて無理がきかず、ダメージを強く感じていることに、自分でもかなりショックがありました(世間の基準で考えれば、まさに働き盛りの年頃で、こんなことを口にするのは恥ずかしい限りですが…)。
あと、もう一つ不安の遠因として、文章を書く上での動機や意欲の変化があるように思います。僕は、若い時から持ち続けている個人的な不如意や違和感、ストレスを主にエネルギーとして書いてきた部分が強いのですが、それが解決しないまでも、時間と共に風化したり、或いは向かい合い続けるにしても、別の距離の取り方や、新しい角度を必要とする年齢になったのだという実感を強くしています。
今にして思えば、30代は、まだ20代の延長のようなものだったなと。
病気の方は、なかなかすぐに完治とは行きそうにありませんが、緩やかに共存しつつ、徐々に新たに書く体制を試行錯誤していけたらと思っています。
雑誌『For Everuman』も、刊行の間がすっかり開いてしまいましたが、徐々に新しい企画も考えていきたいと思います。
どうか皆様、今後ともよろしくお願いします。


●2013年に観た映画 私的ベスト5
1.『情婦』ビリー・ワイルダー
去年から今年にかけてはロードショー館にも名画座にもほとんど足を運べず、懐の寂しさもあって旧作のDVD観賞が主となってしまいました。それも、もやもやと良くないことを思い煩うきっかけにならないよう、罪のないコメディや、現実離れしたサスペンスがメイン。ワイルダーのコメディも沢山再見しましたが、本作は所見。それもコメディではなく、クリスティ原作のサスペンス。ワイルダーらしく、ユーモアを交えた人物描写が巧く、その説得力がそのままトリックを補強する形になっていて唸りました。キーパーソンを演じたマレーネ・ディートリッヒは、当時50歳を超えていたとは信じ難い美しさ(御御足も含めて…)に加え、トリックと知っても尚驚きが消えない迫力の演技で、心底圧倒されました。


2.『北北西に進路を取れアルフレッド・ヒッチコック
僕は元々映画も読書も、感情の機微のやり取りと行ったことにしか興味が向きにくい方で、この年までまともにミステリーには触れておらず、恥ずかしながらヒッチコック作品もほとんど初見。今年は半ば中毒のようになって、代表作はじめかなりの本数観ましたが、打率の高さに圧倒されました。中でも心底楽しんだのが本作。ケイリー・グラントがふとしたことから(架空の)スパイに間違われ、危機また危機。観ているこちらも、事情が呑み込めず、先の予測も付かないまま振り回されていて、まったく退屈しない演出力と脚本の妙。


3.『SRサイタマノラッパー』北関東3部作 入江悠
今更ながら、しかも3本纏めてですみません。そのくらい、登場人物達に親しみを持ってしまって他人の気がしない。北関東の、緑が砂埃に煤けたような風景に、コスプレみたいに冴えないヒップホップスタイル。寂れた田舎の情けない青春、いや、青春らしい青春の入口にさえ立てないでいる奴らをカメラは淡々と追うけれど、根っこにどこか愛情があって、気が付くと可愛く感じてしまう。田舎には住めない蓮っぱな元AVギャルとの淡いすれ違いもクールで良い。
2の女子ラッパーは、やや同工異曲感無きにしもあらずだったけど、やはり可愛い。
3、一人一念発起、東京を目指したマイティが、『闇金ウシジマくん』や『ヒーローショー』のようなヤバい世界にずるずると足を突っ込んでしまう皮肉。しかし、最後は留置場まで落ちたマイティにも、優しい入江悠監督は夢を捨てさせない。
ある意味、モラトリアム礼賛映画とも言えるけれど、遠い異国のストリートカルチャーのスタイルと魂に、名もないどん詰りの人間たちが憧れ勇気づけられる様は、どうしても観る者の心の柔らかい部分を刺激する。


4.『風立ちぬ宮崎駿
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20130730#p1 参照


5.『かぐや姫の物語高畑勲
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20131216#p1 参照
ジブリの二本、両篇とも予告には非常に期待が膨らんだが、本編の感想は微妙。
演出や芝居が、説明最小限ということもあるけれど、それ以上に、必要な展開がどちらもごっそり抜け落ちているような、もやもやした気持ちが残る。
それで良くも悪くも、印象が後を引いている部分もあるのだが。


番外1.『はじまりのみち』原恵一
この作品については、客観的な距離で感想が言えない。
とにかく、木下恵介監督の映画を原恵一監督が撮るという企画の、小さなきっかけの一つを『For Everyman』の対談が作ることができたことは、望外の喜びでした。


番外2.『ベイビー大丈夫かっ ビートチャイルド1987』
これは、映画の出来云々以前に、とにかく懐かしかった。
それまでの歌謡曲やニューミュージックに対して、急速に聴かれるようになった、恋愛以外の諸々を激しく日本のロックが、リアルタイムの僕たちにとっては、本当に新鮮だった時代。
今の耳で聴けば、以降のJポップの雛形のようで平凡に聴こえるかもしれないし、その後のバンドブーム以降の方が、歌の内容も演奏も遥かに多彩でクオリティの高いものも多かったけれど、そうした爛熟以前の新鮮さと熱量だけは、この映像からもはっきり感じ取れる。


●2013年に読んだ新刊ベスト5


1.山田太一『月日の残像』
季刊誌「考える人」に9年に渡って書き継がれたエッセイ集。近年は比較的よくエッセイを発表されるようになった山田さんだけれど、同志発表のものには、特に力をいれられている印象があり、コピーを取ったりしながらずっと纏まるのを楽しみにしていた。
作品ではご自分のことを直接には語られない山田さんだけれど、このエッセイでは、少年時代の母親の死や、松竹の助監督時代の失敗談などを忌憚なく書かれている。これ見よがしというところとは程遠く、けれど、無意識に残る感じ方、考え方の癖など(特に、飢えの経験からくる、食に関する執着など)がふと浮かび上がったり、またある時は記憶の歪みに気づいたり。
山田さんのエッセイはとても思索的で、それが少しいわゆるエッセイ読者を遠ざけてきた面があるような気もする。ご自分の考えや感じ方を容易く信じず、長年にわたって何度も結論をひっくり返しながら考えられる山田さんを、僕自身インテリ的で捻りすぎた物言いではないかと感じていたこともあったが、山田さんはこの揺れ続ける姿勢を崩さず、結果80歳を迎えられようという現在、深みと柔らかい瑞々しさを併せ持たれた素晴らしい書き手になられていると感じる。山田さんの作品、殊にエッセイは、今が一番良いと僕は感じるし、この齢になられても更に成長(という言葉が適切かどうかわからないが)を続けられているという事実に、驚きと希望を感じる。


2.春日太一『あかんやつら』
戦後、新興の映画会社として、凄まじい量産体制で時代劇、任侠映画といった大衆娯楽の最前線に躍り出た東映。その中枢である京都撮影所で、薄給、激務を技術とプライドと物作りの絆で乗り切っていった映画職人達の熱い群像劇。山田さんの1冊が無ければ文句なしの第一位です。
以前、『男たちの大和』の取材の時、当時東映の社長をされていた高岩淡さんのお話を伺う機会があった。岡田茂さんや佐藤純弥監督との労働争議の話なども生々しい話も含めた、東映京都撮影書に関するお話は、内容も語り口も余りにも面白く、面白すぎてつい、やや話半分に聞いてしまったところがあったが、本書を読んですべてその通りだったことがよく分かった。
それ以来、岡田茂さんにも、東映での通史を伺ってみたいとずっと思っていたが、数多くの関係者や職人さんのお話と併せて、春日さんは僕などが考える何十倍もの濃さで、それ自体熱い活劇のようなノンフィクションを書き上げられ、羨ましいのを通り越して、唯唯感謝の気持ち。


3.木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』
ご夫婦の脚本家ユニットである木皿さんのドラマの、自分は良い受け手とは言えなかった。日常を丁寧に描くという触れ込みだったけれど、その部分が自分にとっては淡すぎ、或いは寓話的過ぎて、それについてのアフォリズムやメッセージのみ浮き上がっているように感じられていた。
が、その後、お二人の私生活と創作に密着したBSのドキュメンタリーから強く興味を惹かれるようになり、この小説を手に取った。冒頭の一篇だけ、ドラマに感じたような取っ付き難さを感じたが、他の短編はほとんどそうした抵抗を感じすに読むことができた。
夫を早くに亡くした女性とそのギフ(義父)という、ある意味不自然な家族と、その周辺の人々の物語。これ見よがしではないけれど、主人公は喪失感や、「家族」という出来合いの共同体への違和感を持っていて、だからこそ、やや距離があり、どこか意識的にもなるギフや隣人との関係の中に生きている。意識、無意識に持つ、そうした心の澱や飢えに、ふとしたことから向かい合い、言葉や物語によって、解決とはいかないが、それと共存していくささやかな力を得る。
自分は特に、主人公の親の世代を描いた『夕子』に、良い時の橋本治の短編に感じるような好感を持った。こうした、生活のディティールを大切に描いた作品を読むと、自分がいかに「まともな生活」から遠くにいるかに溜息が出る。


4.星野博美『戸越銀座でつかまえて』
長年ともに暮らした愛猫の死、また、お洒落な消費者達が闊歩する街に変貌した居住地吉祥寺に疲れて、「独り暮らし」に敗れた著者が、実家の戸越銀座に帰り、家族や地域共同体の中で、微妙な距離を取りつつ生き直す日々を描いたエッセイ集。
前書きを読んでいて、星野さんの疲れた様子に他人事でないものを感じて心配になったが、本文に入るとそうした切迫したトーンは薄れ、地域共同体の良さと面倒臭さの両面、それをうまく味わい、また交わしていく小さな工夫や試行錯誤が語られていく。弱られている時でも、しっかり視線は外に開かれていることに改めて敬服。
僕は、星野さんの持つかなりきっぱりとした正義感(倫理観と言った方がいいか)に、かねてから好感や尊敬を感じると同時に、自分の基準とのずれや違和も感じてきた。もっと身も蓋もなくいえば、自分がだらしないので自他共に許しがちな(良くも悪くも…)ことに対して、きっぱりと厳しい言葉をぶつけられることに対して畏れや違和を感じることが少なくない。本書でも、3・11の買い占め騒ぎの日々に対してかなり厳しい言葉が向けられていて、僕はむしろ余震と輪番停電の不安の日々が蘇って、「あの先の見えない混乱の中では、ある程度のパニックは仕方ないのでは…」と思ったりもした。が、全体には、少し弱られてより思索的、内省的になられた星野さんを、(中年になった)自分はより身近に感じるようになった。


5.関純二『担当の夜』
これも大衆娯楽の最前線、週刊青年マンガ誌の元編集者による、「人間の限界を超えた」激務の日々を描いた私小説。僕は、モデルが比較的分かりやすかった最初の2篇以上に、海のものとも山のものともわからない新人に、振り回されつつ向き合っていく話が最も胸に沁みた。が、どの話も、とことん作家に付き合い、振り回されながら、ある一線でプロの仕事としての割り切りを持たなければならない厳しさが滲む。時に静かに、時に戯けつつ、感傷に流れるぎりぎりのところで綴る、筆致のタフさとナイーブさの入りまじり具合が、また青年誌の現場の性質を感じさせて良かった。

次点 渡辺京二『近代の呪い』(平凡社新書
江戸庶民の暮らしぶりやその後の近代化の内実、フランス革命の背景の複雑さなどを通して、庶民の中間共同体が解体され、個々が直に国家と向き合うことになった過程の正負両面を語る講演集。
言葉は平易だけれど、広範な内容を大まかに駆け足で語られたものを、無知無学な自分が丸呑みする危うさも感じ、話半分のつもりで面白く読む。共感対象の負の側面、批判対象の正の側面を入れ子のように語り、主張の一元化を極力避けていることに好感を持った(たとえばラトゥシュの、経済を1960年の規模まで縮小する提案に共感しながらも、そにある岡倉天心大川周明アジア主義のような、単純な一元化に陥る危うさを指摘するくだりなど)。
しかし一方、パリコミューンに身を投じた民衆たちに、民衆の熱狂の無方向の危うさを重々知りながら感動せずにいられなかった大佛次郎を語るように、渡辺さんも、フランス革命の理念の危険な思い上がりを徹底的に批判した上で、それでもその底にある「おとなの現実主義の奥底にこの幼い叫びが、たとえかすかであっても鳴り続けていなければ、この世は闇だ」と一言、ナイーブにつぶやく。そこに自分は危うさも共感も感じる。