最後に、岡田斗司夫氏について。

さっきも書いたとおり、今のアメリカの情勢とかドキュメンタリー云々についてはどうでもいいんだが、下で書いた、マンガ夜話『ボーダー』の件。
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040705
http://www.ringolab.com/note/natsume/7月2、3日分への言及)


彼は、ハードボイルドやダンディズムは、自嘲してるように見えて、大衆蔑視の思想だ、と得意げに指摘してる。
だけど、それのどこが悪いの?
大体、大衆って誰なんだろ?
あなたは大衆の味方なの? バカにしてるふうにも見えるけど。
それともただの風見鶏ですか?


俺は「大衆」っていうのは、実体のない、その場その場の「気分」「空気」の動勢のようなものだと定義してる。
それに媚びたり、流されたり、一体化したりうまく波乗りすることを自己の保証にするのでなく、そこから距離を取り、自分の信条、倫理に従うってことの、何がいけないというのだろう?
確かに、それは「独りよがり」の独善に陥るおそれがいつもある。
けれど、まずはそれを引き受けなければ、自覚的に誤りを認識し、方向転換することもできない。
あいまいに「空気」を波乗りして、逃げ足早く責任を回避するだけでは。


そして、失敗や、誰かの信条や倫理の限界にツッコミ入れるだけで、自分が客観性や不偏不党(という正しさ)に立てているという錯覚をしているということにおいて、それは彼らが批判する、ムーアや町山さん的な正しさと50歩100歩だ。
思想やイデオロギーの妄信の相対化にばかり執着しているうちに、ツッコミに安住し、またそれに必要以上にこだわる自分の動機についてのチェックとツッコミがまったく無くなりがちなのも、こういう指向の人たちにまま見られる特徴だ。


そしてこれは今回のことに限らない彼の言論への私見だけど、「金持ち喧嘩せず」的な、自分の既得権保身のエゴと、「どうせ」って嫉妬含みのいい気な厭世観を、客観そうな態度の背後に巧みに隠してる感じは、ちょっとタチ悪いと俺は思ってる。


こんなふうに「オタク」と「保守」って相性がいいんだねって。


http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040804
へ続く


関連
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040705
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20040712
http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20030910