自分を飾り過ぎると認知が歪む

 

https://bakuhatugoro.hatenadiary.org/entry/2023/02/19/214230

の追記。

自分に物心共に余裕があり、しかし言動に筋を通す力も勇気も無いから、ひたすら怠けて遊んで世情から逃げて暮らすということは、まあ一つの選択ではあるだろう。殊更責めようとは思わないししたくないが、しかし自分の都合や条件に居直った振る舞いだという一面はあると思う。小さなエゴにのみ生きていることへの批判やリスクくらいは、せめて甘受すべきだろうとも。

世間の空気に反することを口にしても、今のところ自分の仕事や人間関係の居心地が多少悪くなるだけで、表現が具体的に弾圧されたり、取り締まられたりしているわけでも無いのだから。
言論弾圧の時代を引き合いに出すけれど、弾圧したり咎めたりしている世間に曖昧に連なり忖度し保険をかけたりして、それなりに利得も受けていることへの負い目や責任くらいは、最低限意識すべきではないか。あまり自分たちを飾り過ぎて、世間ぐるみ一人一人の認知も狂ってしまっていると、ここからは見える。
せめて、荷風が『花火』を書き、自分を近代文学者ではなく、戯作者でしか無いと規定した程度には、個人たり得ないことへの自責があってしかるべきでは無いだろうか。

ここを読んでの雑感から。
http://gyorai.blogspot.com/2023/02/blog-post_28.html?m=1