赤灯えれじい(続き)

bakuhatugoro2008-10-21


〆切と引越しを目前に控える中、風邪で丸二日ダウン。
首のリンパが腫れて肩が異常に凝り、頭がガンガンして仕事にならないので、だらだらと『赤灯えれじい』の続きを読む。


後半、どんどんシリアスな展開になってきてびっくりした。
このマンガは日常、特に仕事の現場を丁寧に描くところがキモで、新しい職場に馴染むまでの四苦八苦や、不器用な人間のドジ、職場の人たちそれぞれの姿勢や資質の温度差なんかが、コメディタッチを交えながら淡々と描かれているのだが、とにかく二人の同棲の新鮮さ、楽しさというのがベースにあるから、重くなりすぎずに楽しく読めていた。
しかし、当たり前のことだけど、どんなに新鮮な生活も、長く続けばいつか静かな日常になる。
日常に慣れれば、また未解決のしんどい部分がまた浮かび上がってくる。
「頭で考えない」チーコの性質や、家族を捨てた父親に対する引っ掛かりと、結婚を急ぐサトシとの内心の速度がうまくかみ合わなかったりといった二人の潜在的な課題と、どんくさいなりにコツコツと仕事に慣れて、少しずつ将来を展望しはじめた矢先に会社が傾いてリストラ、といったサトシの不運が重なり、先の見えない焦りが少しずつ、じわじわと募る。
そこに突然現われたチーコの元カレ、ユウサク。


前半のホンワカしたドタバタの日々を、本当に微笑ましく読んでいたから、正直この二人にはそういう波乱はいらないよ!とも思ったし(編集のテコ入れがあったのかな?とも、ちょっと邪推)、結局チーコが元カレに情けをかけちゃう展開というのは、彼女の性質を考えると無いんじゃないか?とも思った。その後もあれだけ一途に、良心の呵責に苛まれるなら尚更そうだし、逆に本当に「判断不能」の混沌に陥った場合、チーコのような人は、潔く全部を投げ出して流れに委ねてしまい、逆に取り付く縞がなくなりそうな気もする(で、そこで反省したら、次からは絶対にこういう曖昧さを呼び込むような、軽率な行動は取らない)。
が、こういうことに「絶対」は無いから、あまりリアリティを云々するのも野暮だろう。
ただ、こうした自分の気持ちも取り巻く環境も含めた「生きていくことの不確実さ」(例えば古谷実が執拗に描いているような)に対する、二人の向かい合わせ方は、本当に見事だと思う。
それはこの件についてだけじゃなく、サトシが仕事の中で出会う、風俗の女の子たちの描写にも強く感じる。
彼女達はそれぞれの事情(というほどくっきりとしたものではないが)や欲望に従って風俗の仕事をしていて、サトシも、そしておそらく作者も、彼女達のタフさに圧倒されている。また、そのことの善し悪しを俯瞰的に判断することは、彼らのキャパシティを超えている。そのことを、彼らは隠さないし、同時に釈然としない気持ちも隠さない。そしてそれでも自分は、彼女達とは違ったチーコを愛し、二人の間の無言の約束や基準のようなものを大切にして生きようとしている。そうした、繊細さと節度とのバランスに、倫理の芽のようなものが感じられてとてもいい。


空白の日々、チーコは淡々と将来に向けて大型免許を取得し、サトシは内心千々に乱れながらも、必死にバイトに打ち込む。
そして、半ば無意識に無理をしていた日々が一段落すると、チーコは自分の気持ちを試すように放浪の旅に出、サトシはユウサクと共に彼女を追う。
このあたり、自分の感情にしっかりと向き合うそれぞれのまっすぐさが、ファンタジーと言えばファンタジーながら、同時に圧倒的に眩しい。日常を抱える人間として、そこみ至る現実的なプロセスをきちんと踏ませた上で、体を張った長い旅に時間をかけて読者を付き合わせるところに誠実さを感じた。
このあたりは、アウトドア派の作者の面目躍如と言うべきか(実際、ちょっと放浪癖もありそう。『単車野郎』読んでみよう)。
結果はこの作品にふさわしいハッピーエンドながら、それ以上に、時間をかけ体を張って「不確実な現実」を一つ乗り切った自信が、体感として僕らにも伝わってくる。


この作品、女性の描き分けの細やかさに、作者のフェアな目配りと懐の深さを感じるが、中でも俺が気になったのは、サトシたちの中学の同級生の大原さん。地味だけど淡々と自立していて、過剰も欠落もない分他者への働きかけも権力欲も無く、人間関係上無害だからうっかり忘れているけど、こういう子って確かにいたな、考えてみたら良い子だったなと懐かしく思い出した。
そして、そういうところに目が行く作者に、また好感が増した。

赤灯えれじい(15) <完> (ヤンマガKCスペシャル)

赤灯えれじい(15) <完> (ヤンマガKCスペシャル)