きらたかし『赤灯えれじい』

既に連載も完結していて、今更話題にするのも間が抜けてるかもしれないけれど、おっさんなので許してください。
色んな人から、きっと俺好みのマンガだからと薦められていたのだけれど、フリーターとヤンキーのしょっぱい恋愛の話ってことで、読んでて寂しい気持ちになったら嫌だなと思ってなんとなく敬遠していた。ビンボー人を描くにしても、こんなご時勢だからこそ、下手にしみじみするよりはバイタリティーのあるものに触れたいという気持ちが強かったから。


いやいや、まったく浅はかな先入観でした。
まだ前半を読んでるところだけれど、少なくとも俺はこの作品、貧乏臭さもも安っぽさもまったく感じない。
それどころか近頃珍しく、読んでて本当に幸せな気持ちになる。
「生きていくのって大変だよな」と、「生きているって楽しいな」の気持ちの配分が、絶妙だからだと思う。
主人公のサトシは、父親が若くして過労死したため、貧乏な団地住まいをしている元いじめられっ子のフリーター。
彼女のチーコは美人だけど元ヤンで、実家は潰れかけた町工場で、父親がギャンブルで作った借金に追われている。
話の舞台になるのは、うらぶれたスナックや、安っぽいラブホ、コンクリート堤防に囲まれたどぶ川など、「下流」イメージど真ん中なのに、そこで展開される二人の同棲風景は、くすぐったくも温かくて楽しい。
いい話だと思いたい、思わなきゃいけないなどといった、余計な気遣いが入り込む余地などまったくないほど、この作品は単純に面白いし、それは作者の方にもそんな気負いが端から無いからだと思う。


サトシは容姿にも体力にも、世渡りの器用さにも恵まれていないけれど、実は決してダメなヤツじゃない。
ドジな失敗を繰り返しながらも淡々とバイトを続け、荒っぽいけど骨も情もあるチーコに触発されるように、理不尽な相手にはちゃんと立ち向かい、就職先を探し、免許を取り、地道だけれど一歩一歩着実に成長していく。
サトシのようなしょぼい男に、優しくて美人で甲斐性も根性もあるチーコが惚れてくれるのがファンタジーなら、こうした姿勢を持ち続けることが出来るサトシのあり方も素晴らしいファンタジーだ。
それが、読んでいて何とも眩しい。
同時に、現実をはしょらずに、低い視線でちゃんと踏まえているから、よしながふみの『フラワーオブライフ』なんかを読んで感じる、理が先走った箱庭の窮屈さみたいなものはまったくない。
闇金ウシジマくん』や古谷実のマンガなどが描く世界も、確かに現在の一断片なのかもしれないが、一方にこうした生き方もあり得るのだということを忘れちゃいけないと思う(そして、それを支えるものとして、彼らの話す泥臭い関西弁に象徴される、共同体の温度の残滓は、やはり大きいと思う。この世界は「下流」ではあっても、「ファスト風土」になりきってはいない。はじめから貧しい分、新しい貧しさに対抗できているというべきか…)。


人間、弱いものだから、どうしても上を見て自分と比較し、調子よくやってる奴らを羨んだり妬んだりしてしまう。
自分を省みても、自力の無さを誤魔化しての大向こうウケや一発逆転を狙ったり、そういう無いものねだりを反省したらしたで、時たま分不相応に実直になろうとしすぎては、すぐに息があがって元の木阿弥という、夏休み最終日の小学生みたいなことばかり繰り返してきた気がする。
自分の身の丈を見定めて、出来ることを淡々とやる。
ゲッツ板谷の『ワルボロ』を読んだ時も感じたことだけど、そんなふうに、しっかりと自分の現実を引き受け、「今」を生きられているからこそ、その過程のしょぼい瞬間、しょぼい風景も、愛しみながら見つめ、楽しく描くことが出来る。
こういう人には、本当に敵わないなと思う。

赤灯えれじい(1) (ヤンマガKCスペシャル)

赤灯えれじい(1) (ヤンマガKCスペシャル)