今更ながら...


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしく。


暮れから正月にかけての諸々をつらつらと。


まず、「ロック画報 映画×ロック」編集&執筆人有志の方々と忘年会。
みんな30ヅラ下げて(一部40も?)、夢追いとそれゆえのイライラ&煮つまりがリアルに感じられて、俺としては心地よい。
いくつになっても「何かやってやろう」って野心をどこか本気で持ってる人たちとの関わりは、トラブルや面倒くささ含めて、最終的に楽しい。久しぶりに良い友達が増えそうな予感。


晦日、旧友たちと集まってPRIDEとK-1をテレビ2台並べて観戦。
正直、段々格闘技ブームってのにも自家中毒を感じ始めている。
細かい事はどうでもいい、とにかく「何かやってやろう」って人が全然見当たらない。
中でも最悪だったのが、PRIDEでメイン扱いの小川vs吉田戦。
吉田はもともと、ただまじめに試合やってるってだけのツマラン男で嫌いなんだが、いっそのこと小川には体格でも圧倒してるはずの柔道の後輩に惨敗して、思い切り立つ瀬の無いところに追い込まれて欲しかった。しかし、昨今の底の抜けぶりからみて「試合には負けたけどハッスルするぞー!」なんて適当に本人も客も帳尻合わせちゃうようなことになったら最悪だなーと思ってたら、本当にその通りになってしまい、なんとも...
個人的にわずかに面白かったのは、金子賢の本気の緊張ぶり(キッズ・リターンのテーマで入場して欲しかった)と、兵隊やくざ勝新みたいなマークハントくらい。
という感想を思わずその通りに口にして、格闘技ファン、プロレスファンの友人達をドン引きさせてしまった...ゴメン。


そしてこの暮れに、ようやくケーブルに加入。日当たり良い割りにスカパー受信が無理ってことが転居後に判明以来、加入料の高さでずっと二の足踏んでたんだが、小田急ケーブルがもうじきジェイコムに合併されて更に高くなるとの情報を得て、急いで加入。
しかしやばいな、本当に地上波を全く見なくなってしまった(今までもニュースくらいしか見てなかったんだが)。これからは新聞と電車の中吊り広告だけが社会の窓だ。
加入以来、60年代新東宝特集とか、清順特集とか、座頭市とか、その他諸々延々観たり録画したり...
中でも2日の「まんが道」一挙放映は嬉しくて、日中ずっと見続けてしまった。藤子A役の竹本孝之歌う主題歌「HOLD YOUR LAST CHANCE」に象徴される、ミドル80’sテイスト。夢に向かって一筋に頑張る若者と、応援する大人たち。このノリ、その後のバブル、バンドブーム的な「本音」に駆逐されて、「嘘くさい綺麗事」として葬られてしまったけど、自分探しに緊張感と鮮度があった時代って確実にあったんだよ。「本音」が行くところまで行きついた現在の状況を見るにつけ(去年出たピーズの新譜聴いて、俺は彼らに関してもはっきり「否定」に回ることに決めた!)、尚更その「功」の部分が再認識された。
アニメ版の「キャプテン」、そして去年UHF局で放映されて観れずにいた「プレイボール」も楽しみに観ている。「キャプテン」、あの男性コーラスによる主題歌が大好きなので、「プレイボール」でのゆずもどきによるバージョンは正直許しがたいんだが(ちばあきおのやさしい画風で、おそらく製作サイドは勘違いしている。「キャプテン」こそ自然体だのスローライフだのの気の抜けたようなノリとは真反対、高度成長期の少年達のスピリットそのもの、「ガンバリズム」の塊のようなマンガなのだ!)、そうした不満も圧倒的な谷口君のさわやかさが吹き飛ばしてくれる。


しかし、「まんが道」の裏で再放送やってた「電車男」とか、mixiキャプテンコミュでも非難囂々の、実写映画化にヒロインを加える噂だとかhttp://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3729423&comment_count=17&comm_id=218824、オタクにしろ広告屋共にしろ、「過去」の扱い方の無神経さとセンスのなさには本当に頭にくる。
過去を描くなら、現在との落差を正確に描写して、変化したもの、失われたものを浮かび上がらせることで現在を照射するって形じゃなきゃ、結局現在を誤魔化しつつヌルく肯定して、結果過去が孕む「想像力」の鮮度さえ消費しつくして、閉塞を深めることにしかならんじゃないか!
はっきり言おう。昨今のノスタルジーものが巧妙に(或いは鈍感に)避けている、我々が思い出すべき過去とは、「牧歌的」なユルさだのほのぼのだのではなく、もくもくと排煙を吐き続ける工場の煙突の下、ぞんざいで無神経なまでに闇雲に元気だったあの頃であるはずだ。


まんが道」や「キャプテン」を観ながら、あの頃、彼らのように格好良くも美しくも無く、何かを必死にやり遂げたこともない自分が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかったことをリアルに思い出した。それが、いちばんの収穫だった。
俺たち、あれから言い訳ばっかり巧くなってしまったが、本当は未だ「はじまって」さえいないのだ。