あと、論旨としては蛇足だけど追加。

松田優作に関しては、確かにカウンターカルチャー的なわかりやすいメッセージはない。
70年代の仕事も、シラケ世代、挫折の世代のアンニュイや捨て鉢を体現したショーケンなんかにくらべると、戯画化されたアクションスターって感じで、当時の映画青年の評価は一段低かったし(「探偵」も「傷天」のヒリヒリするようなリアリティに比べると、ファンタジーの枠組みの中でのハードボイルドってことは確か。もちろん、思い切ってそうしたから当時あれだけ広がりを持ったんだけど)、彼が関わった映画の流れも、直接的な政治性の方向の行き詰まりを反映して、表現そのものを自己目的化したような芸術指向とか、バブリーなディレッタント趣味へと流れていく。


だから、後から見れば、前後の世代に比べてストレートさに欠けて、随分自己完結した印象に見えるかもしれないけれど、それにもかかわらず、優作自体(とその仕事)はまったく「ヌルくない」んだよね。
彼は、世代で言えばゴジなんかよりも下だけど、メンタリティはずっと古風で、ハングリー。
自分の足場を相対化するような軽みはほんとはないから、とにかくその時代に引っかかることを、愚直に、一所懸命やったってだけなんだ。
足場の無いところで、懸命に自己プロデュースして自分を支えた孤独な職人というかね。
野獣死すべしhttp://www.studio-sn.com/date.htmlなんて、80年代に先駆けて作られた、不思議ちゃんが70年代的にハングリーさに呪縛された鹿加丈史を圧倒しちゃう話だけれど、元々そんな要素まったく持ちあわせない日活ニューアクション→東映流れのヤボテン男達がさ、必死に超本気で深読みして(凄い勘違いをして)、不思議ちゃん(らしきもの)を作り上げていくわけだ。で、設定や物語云々をさ、優作自身の「わけわからない演技」への執着の凄さが超えちゃってるんだよ。役より優作の方が凄いっていう、トンデモないことになってる(笑)
だから、カウンターカルチャー云々に関係なく、彼の格好よさには普遍性が今も残ってるんだよね。


narkoさんは面白さの定義で、その場限りのものと、教養も身についてしかも面白いものってふうに書いてたけど、例えその場限りでもナンセンスでも、ヌルくないものって、方向の如何を問わず面白い。
現実的に見れば、間違いだったとしてもね。