上村一夫に、『関東平野』という自伝的長編がある。今、現物が手元に無いので記憶が曖昧なんだけれども…

上村の分身である主人公金太は、終戦直後の小学生。銀子というオカマ少女の親友がいる(彼女が男であることは、学校では金太しか知らない)。
ある日の学級会で、登下校時の買い食いを禁止することが決まった。民主主義の世の中になったので、クラスのルールは学級会で、クラスみんなで決めるのだ。
ところが、金太と銀子は、登下校時の道すがらいつも会う、見るからに商売下手そうな芋飴売りの途方に暮れたような姿がいつも気になっている。そして、つい仏心を出して芋飴を買ってやるのだが、その不味さに顔を見合わせ、苦笑いしあう。そして、その現場を級友に見られてしまう。
翌日の学級会で、「みんなで決めたルールを破ることは悪いことだと思います」と、2人は教師を含めたクラス全体の吊るし上げにあう。歯切れ悪く言い訳していた2人だったが、「みんなのルールはみんな同じように守らなければいけないと思います」と詰め寄る級友を、とうとう銀子は「私はみんなと同じじゃない!」と強く突っぱねる。そして尚、かさにかかるように「みんな同じじゃなきゃ駄目だ」と詰め寄る級友たちに向かって、「違う証拠を見せてやる!」と、自分のスカートをずり下げてみせる。
以来、銀子に対する激しいイジメがはじまる。


世の価値観が激しく変動する渦中では、歴史の積み重ねに裏打ちされた「厚み」を持たない新しい価値観が、かえって古いメンタリティを引きずる人達に形だけ鵜呑みにされて振り回され、その歪みがいちばん不安定で通りの悪い、弱い立場の者に押し付けられ、集中する、ということがまま起こる。それは、現在も少しも変わっていない。
そして、一寸しょった言い方をすれば、そうした時になしくずしに流れにおもねり、保身することに開き直り、したり顔のシニシズムで正当化しないこと。たとえ無力であっても、きちんとその無力を引き受け噛み締めること。それが、個の解放過渡期の時代を思春期として生き、互いが互いの立場をフェアに引き受け、また見ようとし、受け入れ尊重する努力をすることが、個の確立と解放に繋がっていくはずだと、青臭く夢見た者としての意地なんだな。