しがみついているだけのことを飾り過ぎていないか?

「今、私の関心は、長命にはない。ほどのよいところで、うまく死にたいのである。
私の父は九十七で死んだ。一部始終を眺めているが、死ぬ前のニ三十年は、うまく死にたいものだといい暮らしていた。その気持ちはよくわかる。老衰という死に方は、意外に楽でない。だんだん不自由になって、老いの哀しみを知りつくし、蝋燭の火のような意識を抱きながら、ぼろ布のようになって死ぬ。
大体、畳の上で、或いは病院で、大往生などという死に方にろくな死に方はない。事故死みたいな方が、一見むごたらしい死に方の方が、本人にとっては楽だ。
けれども、皆がそういうふうに死ねないのだから仕方がないのである。気に喰わないけれども、なるようにしかならない。
健康を保つために節制をするという考え方は、若い人のためのもので、中年をすぎてから、あわてて好きな酒や煙草をやめたりしている人を見ると、この人はいったい何を考えているのかと思う。健康を保てば死なないというのではない。五年か十年、先に伸びるだけだ。片づくものが片づかないというだけなのである」
色川武大「節制しても五十歩百歩」

そうは言っても、凡人は無駄にしがみついてしまうものだけれど、ただしがみついているだけのことを、あまり飾り過ぎるのもどうかと思う。きりぎりすのように調子のいいことを言い、実際調子よく生きてきておいて、体力が落ち先が心配になって保身と安楽に走っているだけのことをしおらしいように見せかけるのは、引退した途端に理想を口にするようになる政治家や、功なり名を遂げた年寄りが仏に縋っていたりすることと何も変わらないだろう。綺麗なことを言いたいならまず立派に生きようとするべきで、安楽椅子のような立場を決して譲らない自分を隠し、言い訳を飾り続けるのは単に小狡く欲が深いだけだ。

ブーニン『チェーホフのこと』

読み返していた山田太一さんのエッセイの中で触れられていた『ブーニン作品集』(群像社)を散歩中に寄った新古書店で見つけ、喜び即購入。チェーホフのこと』というここでしか読めないらしい回想が目当てだったのだが、思ったよりも短い覚え書き的な内容。引用されているチェーホフの手紙の多くは、貴族的な人々の(文学的)人道主義に反発した内容が多く面白い。彼の熱烈な支持者であり理解者といった筆致のブーニンも「チェーホフは長いこと「陰気な」作家、「たそがれ気分の歌い手」、「病んだ才能の持ち主」、なんでも絶望的に冷淡に見る人という呼ばれ方しかしなかった。いまは別の方向にたわんでいる。「チェーホフ的な優しさ、悲哀、暖かさ」、「チェーホフ的な人間愛」。彼が自分の「優しさ」について書かれたものを読んだら、どんな感じがしたか察しがつく!「暖かさ」や「悲哀」に至ってはもっと厭だったろう」と、読まれ方の軽薄さに苛立っている。まあ、熱烈に理解者と認ずる者はいつもそういうものかもしれないが。
エッセイで山田さんが印象深く語る、ブーニンチェーホフの戯曲(の、貴族の風俗の描写の不正確)を腐すくだりは、2~3ページと実際はごく短い。こうした拘られ方のポイントは、やはり実作者ならではのものなのかと、勝手に感じている。

無自覚に夢見がちなネトウヨたち

「生活者としての私たちは、多くの場合、「現実離れした」夢を持つ人間には冷たくなりがちである。そんな夢を捨てて、現実を正確に捉え(といったって、前述したように私たちが現実だと思っているものの実相は全然私たちの思い込みとはちがうものであることが多いのだが、とかく私たちは、思慮深げに)もっと大人になって現実に適応すべきではないか、などといったりしてしまう。(…)
このリアリズムの時代に「現実離れした夢」を持つことは、まことに難しい。現実を変えてしまうくらい執拗に夢を持ち続けるということは誰にでも出来ることではない。
だからこそ、キホーテとセルバンテスが夢をねばり強く持ち続けることに感動するのだし、その夢が力を発揮する瞬間には、言葉は妙だが「切実な」ロマンティシズムを感じてしまうのだろう。
長いこと私たちは、国家とか制度とか主義とか世間とかに向って、個を主張して来たところがあった。なにものにも侵されずに個が発展することが善であるというような気分の中で生きて来た。「あるがままの自分」が、自由に生きられる世界を求めるところがあった。
しかし、多くの凡人にとって、「あるがままの自分」は砦をつくって守るにはみすぼらしすぎ、周囲に他人を排して、結局はごろごろテレビを見ている自由だけを獲得したにすぎないということも多い。それで結構だという人も多いだろうが、それではやりきれないという気持が湧く人も少なくないはずである。「あるがままの自分」をどこまでも肯定して生きるのではなく、「あるべき自分」「なれるかもしれない自分」に夢を抱きだいと考える人も、きっと多いのだ。この作品(『ラ・マンチャの男』)は、そういう人々の心に応えるものを豊かに持っている。夢を抱くことは至難のことだが、最後の幕がおりた時には、自分の中の「アルドンサ」を、ことによると「ドルシネア」に変えることが出来るかもしれない、といい年をして、涙ぐんだりしていたことであった」
山田太一「夢の力」

夢見がちな左派やリベラルを執拗に批判し、彼等に現実を直視、認識する理性を求め続けずにいられない(それが、現実や身の丈を離れて半ば自己目的化、永久革命化している)ネトウヨたちの中にも、ロマン主義を批判するロマン主義者の夢見がちさがどうにも見えてしまう。
だとしたら、どうにも希望的観測を持って強引になってしまうことを容易くはまねがれない(特に、それが許されてしまう今のような余裕のある現実の中では…)自分を認め、直視しておくこともまた、重要な理性だと感じる。

奥浅草?

「ひさご通りを背にして通りの端に立つとしらじらと人のいない通りが、ほとんど非現実の光景に見えて来る。わずかに残る寄席のあたりに人がいるが、それも呼び込みの人たちなのではないか、と疑ったりしてしまう。
それからこみ上げるように、ふるさとを庇いたくなった。
なにが非現実な光景なものか。
これこそが浅草だからではないか。
東京のどこの盛り場より多くの映画館を持っていた街が、東京のどこの盛り場より早く一軒も残さずその映画館を見限ってしまったのである。これこそ昔と変りない浅草の客の「本音」ではないか。「具体の境地」ではないか。過激である。過激だが、誰にもそんな意識はたぶんない。ただ本音のままに実行したら、こうなってしまったのである。だからもう一息その「本音」の先行きを読んで新時代の「受け皿」を要領よく仕掛ければ栄えるかもしれないのに、たぶんそんなことに本気になれないところがあるのだろう。贔屓の引き倒しのようないい方になるが、それがいい。寂れたら寂れたままにしているのがいい。すると、老人が一人でうろついているのも、少しもおかしくない。しゃがんでお握りを食べているお婆さんも似合ってしまう。
もし仮に有能なプランナーを掴まえて知恵を借りれば案外見事に賑やかな六区を再生させることが出来るかもしれない。しかし、そうなると今この街に似合っているおじいさんもおばあさんも、ポツンと歩く中年男も尻をついてコップ酒をのんでいる当て処ないような人も居にくくなるだろう。
ふと私は六区の客がというより、六区という大通りの精霊が通りを「本音」で寂れさせているような気がして来た。それは街の商業主義にはまったく不都合だが実はその寂れこそが浅草ではないか。仲見世の賑わいは上辺の浅草で、本当の浅草は六区の寂れにあるのではないか、少なくとも仲見世観音堂だけでなく、六区の寂れを内包してはじめて丸ごとの浅草なのではないかと思う。六区も仲見世同様に賑わったら、さぞ浅薄でつまらない街になるだろう」
山田太一「浅草の本音」

浅草名画座が閉じた当時、六区周辺は本当に閑散としたゴーストタウン状態だった。この山田さんの一文を、圧倒されつつ、頷きながら読んだ。
ところが、スカイツリーが完成した途端、本当に要領よく栄えてしまった。その結果、「奥浅草」なんて実の無い厚化粧の極地のような言葉の(作為的な)流行に象徴されるように、より平坦なうそ寒い荒廃が広がり、無神経に歓迎されている。

実家の夢

寝苦しくて、エアコンをゆるくかけっぱなしで眠っていた。鼻が詰まって寝苦しく目を覚ましたら、まだ何時間も眠っていない。眠りが断続的で、不連続に夢を見ていたので、もう明け方くらいだとばかり思っていたのだが。
実家のトイレは古い汲み取り式で、自分が子供の頃は、あまりに狭くて閉塞感があるから、家の者たちはトイレの戸を開けっ放しで用を足していた。だから、鍵らしい鍵も付いていない。人が使っていると、戸が開いているからわかるというふうだった。しかし、長い休みに親戚が来たりすると、そんな事情は知らないで駆け回っている子供が飛び込んで来そうで落ち着かなかったりする。
休み前の友達との約束が重なって連日となり、親の顔色が気になってあまり眠れないでいると、何故か何度もトイレに起きている様子弟が勉強部屋の僕の引き出しを探っている気配がする。見られて困るような物もないから構わないのだが、音が五月蝿いし、離れにあるトイレに行く度に通過する台所の灯がともるのも気になって声をかけた。辞典を借りようと思ったのだが、散らかっていてどこにあるか分からないと言う。あまり見返したくないテストのプリント類などがごちゃごちゃ突っ込んだままになっていて、こちらが気まずくなる。五月蝿いからいいかげんに寝てくれと八つ当たりのように言うと、「うちの人たちはまだ気付いていない。うちはあと2日で終わるのに。支えていたものが無くなったら、古い家は終わる。そこから後は、辛いことしか起こらない。もう2日しか無いのに…」と、不吉なことをきっぱりと言い、何だかぞっとするように目が覚めた。折りたたみ式の階段を上げたままの実家の二階の物置部屋を、家族が居なくなるずっと前からそのままにしていることにふと気付いて、何だか落ち着かない気持ちを引き摺っている。

風流

やれやれと、賢しらな憂い顔や義憤を、建て前や通念に添って安全に程よくのぞかせながら、市井の庶民性をさりげなく美化しそちらに付く顔をする、裏返しのスノビズム。しかし、それらが孕む半面の悪は決して指摘も批判もしない。リスクを取るだけの倫理が無い(要は、ただの「いいとこ付き」だ)。バランスのよい大人の顔をした、小賢いだけのこういう俗物が本当に嫌いだ。

坂口安吾が「風流」と呼んだもの。

今日はそんな日

勝とうとしなければ負けてしまうのは当たり前なのだが、要領よく調子に乗って勝とうとばかりするヤツが嫌いだから困る。そんなことを言っていられるのはまだ余裕がある証拠なのだろうが、無理に気持ちをねじ伏せるように突き詰めたとしても、不似合いな先回りをしたような気持ちになる。要するに自分が熟していないのだから、実力なりになるようになるしか無いのだが、そう納得出来るほどちゃんと生きている自信も無い。結局気が付けば同じところで繰り返し逡巡して、疲れている。

でも、借金だけは積もっている。


自分にとって確かなことは、それだけのような気がする。