地上波テレビの黄昏と狭まる偶然性

5時に夢中でマツコが、テレビの悪影響が云々とこう五月蝿く言われる風潮だと、地上波で面白いドラマやバラエティをやるのはもう限界なんじゃないか、全部YouTubeやネトフリのような形にアーカイブして、新作もそこで変な制限抜きに作るのがいいんじゃないか(だから、この番組も率先してやめてしまおう)と話していて、その通りだと思いつつ、どこか割り切れない気持ちが残った(彼女自身の語り方にも、反語や諦めや開き直りのニュアンスが含まれていたと思う)。
現に、地上波放送を殆ど見ていない自分が今更そう思うのは、偶然見始めた『らんまん』にハマっているからだろうか。
それだけでなく、自分の感性の基盤を作ってくれたのは、夕方のテレビで毎日たれ流されていたアニメやドラマの再放送や、その中にどさくさに紛れて放り込まれていたザンボット3やガンダムのようなゲリラ的な新作だったという思いが強いからだ。
自分の嗜好がはっきりしてから求めて見たり、様々な文化を選び触れるような環境がまだ無かった中、事故のようなそれらとの出会いはとても大きなものだった。
今は、様々なものに出会う為のチャンネルが増え、子供たちも僕らとは比べものにならないくらい(むしろ過剰なほど)その扱いに長けていて、そんな心配はいらないのかもしれないけれど、さっきの本屋の話では無いが、思わぬ偶然の出会いが失われるというのは、どうも人の視野を閉塞させてしまうんじゃないかという気がしてならない。
或いは、テレビが今のAMラジオくらいに過疎化して緩くなれば、別の可能性が生まれてくるのかもしれないが。
自分の今の『らんまん』の見方なども、そちらに近いのかもしれない。