いじめは発生した世間の内部では解決できない

旭川女子中学生いじめ凍死事件」久し振りの続報。
https://m.youtube.com/watch?v=rvkmI5PN-s0&feature=youtu.be

発生した世間の内部での、いじめの究明とか解決は不可能という思いを強くするばかり。成員全員が共犯のような状態での不都合なのだから、なにをか言わんやだ。
子供のいじめに限らず、我が国の肝腎な問題は、突き詰めるとこの袋小路に突き当たる。
一見解決に見えても、大抵はトカゲの尻尾切りにしかならない。
こういうのは、「うちはそうじゃない」と言い張ろうとすれはするほど、守りを固めようとすればするほど、欺瞞を深めることにしかならない。誰にとっても深く内在的な気質の問題だから、関係ないということもあり得ないし、本質的な解決もつかない。
たまたま浮き上がったり、はみ出してターゲットになった者が、いかに処して生き延びていけるか、という方向で考えていくしかないのだ。
だから、言葉や文化は、それを支え、援助することに力を尽くすべき。
少なくとも、そこを潜り抜けてきた人間のやるべきことだと思っている。