『シガテラ』、相変わらずオモシロイ(ネタバレあり)


南雲さんと付き合い始め、幸せの味を知ってしまってから、以前より弱くなったんじゃないか、孤独に耐えられない依存体質になっちゃったんじゃないかと悩む、幸福貧乏症の荻野君。
が、考えてみるとそれは違う。独りで苛めを受け続けていた頃は、そもそも幸福な状況の可能性を想像できなかったから、ただ殻に閉じこもっていられたというだけだ。
あの頃が強くて、今弱くなったというわけじゃなく、今はじめてニュートラルな状態を知り、選択肢の自由のある人生の難しさに直面している、というだけのこと。


選択肢、しかし冷静に将来を考えると、自分に選べる人生はそう多くない。
つとまりそうな仕事は(自分の知識の範囲では)サラリーマンくらいだし、子供を作り、家庭を持ち、ローンでマンションを買い、子育てをし、生活を支えるためにとにかく上司に気を使い、取引先に気を使い、磨耗して磨耗してはたらき続ける。
そうした現実的な展望さえ、今の自分の実力では相当に難しいし、正直本当にそこまでやれれば本望だと思う。
とにかく勉強しなくては...


相変わらず、自分でも恥ずかしくて言葉にしにくい、本音の、等身大のところでの若者の葛藤が丁寧に掬われていて、いいなァと思う。
ホント、容易く「今は未来に希望が持てない時代だ」なんて分析を振りかざし、若者の気を引いて、ホントは彼らの現実に責任取る気ないような大人が、メディアには跋扈しすぎているから。
自分達を「被害者」として分析、レッテリングしてくれるハンパな大人連中の甘言にノセられることなく(最近だと、「ニート」なんて言葉で擦り寄ってくるようなヤツは、即胡散臭いと思った方がいい)、自分の身の丈を棚に上げないこうした誠実な先輩の試行錯誤が、しっかりと若い人たちに届くことを願うばかり。
ミもフタもない当たり前の現実って、表現としてはどうしても地味で単調なものにならざるを得ないけれど、古谷実は丁寧で細密な描写とモノローグ、そして周囲に広がる底の抜けた社会や未来の不確かさ、不気味さから目をそらさない(そらせない)ことによって、その危うさをスパイスとし、際どいところで作品の緊張感を自足させている。
この綱渡りがどちらのの方向にも投げ出されることなく、全うされることをただただ期待したい。