実直に仕事に打ち込んできたサラリーマンが

子供が不治の病にかかることを契機に人間性を犠牲にして生きてきた自分に気付き葛藤する、『君は海を見たか』。
無意識の時にはこの上なく自由なのだけれど、意識的になると過剰になりがちなショーケンの真面目で不器用で固い部分の資質がよくはまり、高度成長期のサラリーマンの男臭い成熟と哀歓がよく表現されていたと思う(当時紡木たくが初期作品『波の言葉たち』の中でこっそり「惚れ直した」とメッセージしていて、いかにも彼女らしいなと思った)。
倉本特有の必要以上に登場人物を問い詰めたり反省させたりして、重さやストイックさを強調したがるポーズのループが気になるところもあったけれど、ある状況の中でしゃにむに走ってきたら、状況の変化によって受身がとれず、エアポケットにはまってどうしていいかわからなくなっているような、男の不器用なとまどいと葛藤にうまくはまっていたとも思う。
僕は基本的にショーケンに関わった製作者の中では、神代辰巳工藤栄一といった、世間からはぐれてしまったダメ人間を優しく、けれど不自然に美化することもなくあたりまえに描くような、許容している人間の幅が広い不良オヤジ共がより好きだし、これに比べると倉本の、共同体の狭い意味での道徳や性善説的な人間観に縛られてごまかしを重ねているような部分が鼻につきがちなのだが、この、ある時代のサイレントマジョリティの実直さゆえの重い煮詰まりのリアリティは、倉本ならではのものだとも思う。
そしてそれが、ショーケンが果たした役割の幅を大きく広げていたことは、間違いないと思う。
また、『前略〜2』や、近年の『北の国から』あたりに特に顕著なのだけれど、倉本は、自分が(夢や理想を仮託して)思い入れている下町とか、田舎とかいった共同体が崩壊していく過程の寂しさや、頼りなさを噛み締め描く時に、真価を発揮する作家だと思う。