『キック・アス』最高だった。

キック・アス ポスター1



キック・アス』期待を大きく超えて素晴らしかった。
ダメ男のペーソス系青春映画と、荒唐無稽な劇画アクションヒーローものという、どちらにしろフォーマットが出来あがり過ぎて、自家中毒の臭みを引きずりがちなジャンル映画二本分の企画を、強引に一本に纏めることで、現実との緊張関係を復活させて生々しく蘇らせた快作。


こうした所謂ボンクラ映画というのは、想定している客と作り手が初めからキャッキャ慣れ合ってる感じが伝わっちゃうと、「男ならもっとでかいものと戦えよ!」と、どうにも冷めてしまう。「正義」とか「ヒーロー」とか、ただ無邪気に信じるだけでは馬鹿馬鹿しくも、鼻持ちならなくもなるものを、根っこのところでは渇望し、信じたがっていることを、作り手が本気で引き受けてなきゃ駄目(外からの茶化しに終わると、当人の臆病を露呈して小賢しいだけだ)。
かといって、ただストレートに真正面からリアルに向き合うと、当然ながらひたすらしんどいことにならざるを得ず、いわゆる「ヒーロー映画」のカタルシスが損なわれてしまう。


そして本作、一見チープで肩の凝らなそうな看板に偽りあり。
前半は過剰な痛覚の刺激と、正義を求めた途端にヒーローを見舞う恐怖と孤独の描写だけが延々と続く(拷問シーンに、70年代東映マインドが横溢)。正直しんどくて、「これじゃあ、ヒーロー映画じゃなくなっちゃうよ…」と思ったくらい。が、根本で力が支配する現実の怖さと、己の甘さと無力さを骨身にしみるこの過程が、ラストのファンタジーカタルシスを楽しむための、必要不可欠な対価になってる。そういう意味で、とても倫理的な映画。


ビッグ・ダディとヒット・ガール。妻の復讐のために全てを捨てて、娘を殺人マシンに仕立てる父と、それに無心に応える少女。子連れ狼とか修羅雪姫といった、完全に70年代劇画世界の住人そのもの(映画で言えば、ブロンソンの私刑ものとか)。
が、このくらい非日常な過酷さを背負った「狂った連中」じゃないと、命掛けのヒーローの孤独(行使する暴力の結果の陰惨も含めて)なんてものには耐えられない。
この映画の前半三分の二は、遂に己の無邪気と無力の為に他人を死なせてしまった主人公がその事実を思い知る過程。


が、だからといって、映画は彼の正義や、ヒーローへの憧れを、ただ否定しているわけでもない。
恐怖と痛みを痛感する対価を支払った観客に、きっちりとヒーローの燃える戦いを見せてくれる。そして、主人公にも、ちょっとだけそこに参加するファンタジーをご褒美。
さんざん言われてることだろうけど11歳の殺人マシーンヒットガールは、往年の梶芽衣子映画を彷彿とさせる格好良さ。


音楽の使い方も最高だった。痛くてしんどいリアリティを、軽快なポップパンクと、ギャグ混じりの展開のスピード感で乗り切った後、本当のクライマックスには『夕陽のガンマン』! パロディ、オマージュ過剰の臭みはカケラも無く、この映画の本気がストレートに伝わり思い切り高揚させられる。


このご時世だからきっと復讐とか、暴力的カタルシスへの倫理的批判といったものも出てきそうだけれど、この映画に関しては、敢えてそうした面倒くさい大きな話に踏み込み過ぎないところに、粋と節度を感じた。
自分は昨今のハリウッド製バーチャルSFとか、『ダークナイト』的な「現在における正義の不可能性」みたいなことをテーマにした映画がどうにも頭でっかちに感じられて、しゃらくさい。
そういう偉そうなこと以前に、現に誰もが本当は身近に理不尽な暴力を知っているはずだろう?(身の程知らずな「俯瞰視点」は人を付け上がらせ、無駄に物事を曖昧にしがちだ)
それを、「殴られるのが怖いから」見て見ぬふりをしているくせに、「現実はそんなに単純じゃない」「自分は利口だから馬鹿なことには関わらない」といった合理化をしているようなヤツと、上記のような映画の根底にある、勿体ぶったカマトト臭い感覚が、根深いところで一脈通じているように思えてならない。


そうした、もっとも素朴で原初的な動機をスルーせず、むしろテーマをそこに集中し、無邪気や憧れに痛みと試練を与えつつ、「格好良さ」はしっかりと身体を張った技術と絵で魅せ、答えの出ない問いかけの答えは受け手自身の未来に託す。


しかし、こうしたアメリカ産ボンクラ映画の良作を見るたびに、市場経済と情報化が行くところまで行きついたどん詰まりの、安っぽくも薄っぺらな荒野を、どこかが壊れ、狂ってることを自覚しながら、「それでも人生は続く」と壊れてるなりのバランスの中で生きて行く、日本映画にない種類の人間のタフさを感じる。


今って、現実の方がリアルなものへの直面を避ける曖昧な虚構まみれで、だからかつて現実に打ちひしがれているからこそ人が求めた夢が、現実の重しを失うことで逆に成り立たなくなっている。
キック・アス』を観てると、ここまで絵空事の側が観客の現実に踏み込まないと、夢が夢として成り立たなくなってる難しさを感じる。本当に、繊細なデリカシーと大胆さが同居した、凄いバランスの上に成り立ってる映画だと思った(プリミティブ&クール!)。
予告で流れてた邦画の全部が全部、世界の広がりと痛覚を誤魔化す(で、全然誤魔化せずに却って寒々しいことになってる)気持ち悪いのばかりだったことと、見事に対称的だった。


イブのアサイチの劇場は、見事にボンクラ男性度数95パーセント超だったけど(それもかなり年齢高め… でも、この映画、本当は若い子にこそ観て欲しい)、映画自体は充分にディープでありつつ、閉じたクサみはゼロ。
痛覚表現はキツいけど、そういうのが苦手じゃなければ、女性含めた一般客にも、充分に(そしてむしろ積極的に)お薦めできる一作。


●26日追記
キック・アス』の原作コミック読んだ。映画よりも低体温でシニカルな内容。アメリカらしいタフなバランスに貫かれていて悪い気はしなかったけど、自分は映画版の改変は正解だったと思うし、好きだ。
ビッグダディとヒットガールを現実的な地平に引きずり降ろさず(彼らのヤバさを自覚しながらも半分認めていることに、逆にタフな人間観を感じる)、一方で主人公の無邪気な正義感を強調したことが、ドラマの落差を大きくして深めていると思う。そして、映画的なカタルシスも。


キック・アス (ShoPro Books)

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