『息もできない』感想追記

bakuhatugoro2010-03-25


http://d.hatena.ne.jp/bakuhatugoro/20100324の追記

昨日の『息もできない』の感想、他の作品と並べて、この映画に足りないものばかりを並べたてるような、ちょっとアンバランスな文章になってしまった。
実はこの映画に距離が取れずに「照れている」のは、僕の方かもしれない。
恥ずかしげもなく言ってしまえば、僕はこの映画が全力で伝えようとしていることを、既に良く知っている。勿論、彼らのような苛烈な経験をしたわけではないし、彼らの思いは痛いほど伝わって来たけれど、決して驚いたり衝撃を受けたりはしなかった。
だから、技術やセンスの凄さを除けば、この映画の内容については、わざわざ書くべきことが自分には何もない。ただ「わかるよ」「俺はお前らのことを好きだ」という以外には。

そして同時に、かつては前だけを向くあまりに、そして現在は自分が贅沢になりすぎているために、恥ずかしがり問題にもしなかった「ささやかな幸福」や「切実な純愛」を、暴力や不幸の「リアルな迫力」を有難がると共に、爛熟に疲れた行き止まりにいる自分たちの(無意識の)免罪符のように、懐かしんだり礼賛したりとにかく便利に消費している、現在の(日本での)いい気な反応に、正直ちょっと苛立ってもいる。
「あなた方とあの二人は、もう何の関係もない」。この距離を、もっと厳粛に受け止めるべきではないかと。

僕たちは今、「距離」や「暴力」を乗り越えるということを、交通標語か試験の模範解答か何かのように、安直に考え過ぎていると思う。
ラストシーンのヨニの弟を見ていて、トニー・モンタナを思い出した。