ハゲタカ 劇場版

いろんな意味ですごく難しい映画だった。
「現実全体の広がりと重量を、正確に映画に写し取ろうとして視点を盛り込みすぎ、逆に散漫に破綻してしまった」というのが端的な印象なのだが、それは単に構成ミスとか時間枠の限界ということだけでなく、もっと根深いものを感じる。作り手も、そして観客の僕たち自身も、この現実の当事者であって、同時に現実全体をどうこう判断したり批評したり、もっと言えば自分にとってカタルシスのある解決を欲しがったりするだけの資格を持っていないのではないか。それなのに下手に表面的な視野だけは広がって、益々どうしていいのかわからなくなってるんじゃないか。
現実に真面目に向き合うほどに、答えの出ない「わからなさ」にぶちあたり、それをそのまま愚直に表現した結果の暗さと散漫さ。逆に言えば、現実を物語へと裁断する「割り切り」のための人生の重量、言い方を変えると「諦め」が自分たちには持てないことを、逆説的に痛感させられた。
宣伝コピーでは「何のために働くか。日本人が見失ったその答えが、ここにある!」という触れ込みだったが、実際の映画を観た人たちは、益々混乱して途方に暮れてしまったろうと思う。


今回の敵役である中国の国家ファンドをバックにした「赤いハゲタカ」は、寒村での極貧生活から家族を犠牲にして手に入れた偽造パスポートで日本へ脱出、苦学してアメリカへ渡り、凄腕ファンドマネージャーに成り上がった男で、彼から見れば現在の日本は「生ぬるい地獄」でしかない。そして、グローバルな合理主義を拒否して「絶対的な感情が働けば最高裁の判決さえ歪む」日本を、情緒的な搦め手で攻める。
対して、買い叩かれる側の自動車会社社長は、ものづくりに固執して経営を悪化させた先代への反発で、「宣伝に力を入れた総合ソフトウェアビジネス」への転換を目指しており、これはこれで現実的ではある。
さらに、「若者を食い物にして既得権維持している」現実に怒って立ち上がる派遣の若者とか、「強欲が美徳の時代は終わった」と、サブプライムローン商売で腐りきったアメリカを買い叩く鷲津とか、局地戦と空中戦がめまぐるしく展開。日本の現状を批評するそれぞれのフレーズは刺激的だし、そのどれにもそれなりの説得力を感じる分、誰に感情移入していいかわからなくなる。
あらゆる立場の人を理解しようとし、それぞれに理由を与えようとすることで、却ってドラマも人物も平板にしてしまっているとも思う。


加えて、鷲津と柴野の恩讐のドラマが物語の中心にあったテレビ版と違い、今回は彼らが外部からの介入者でしかないことも、さらに映画を取り留めなくさせる。そこをカバーしようとして、大森南朋を無表情な能面芝居で思い悩ませたり、柴田恭兵に涙ながらに夢を語らせたりする程に、そのシーンだけが白々しく浮き上がり、全体は冗長な印象になる(更にいえば、最も重くて説得力のある背景を持つキャラクターが赤いハゲタカなので、彼のヘビーさを前にすると、日本の事情が全部相対化されてどうでもよく見えてしまう)。


何だか散々な書き方になってしまったが、これは本当に他人事ではなくて、実のところ「何も失わずにすべてを手に入れたいと願うあまり、呆然と立ち竦んでいる」自分たち自身の意識の水ぶくれぶりを見ているような、身につまされる難しさを終始感じた。公平でいようとする製作者の善意や真面目さがこの難しさに直結している気配に、更に頭を抱えてしまう。

映画「ハゲタカ」オリジナル・サウンドトラック

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ハゲタカ DVD-BOX

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