闇金ウシジマくん


少女マンガから突然話は飛ぶが、先週の「スピリッツ」の『闇金ウシジマくん』はよかった。
このマンガ、現在の新貧困層というか、目先の盛り上がりしか眼中に無いギャル男や非道な振る舞いに開き直るヤンキー、依存症OLや無気力なニート、フリーターといった、社会や人生への見通しが甘い人間たちの愚かさと破滅ぶりの描写に有無を言わせない迫力があって(それは、現在を生きるほとんどの人間にとって、本当はどこかで心当たりがあるものでもあるはず)ずっと気になっていたんだけれど、そうした現実に対する作者の立場がわからなくて、自分としてはずっと評価保留という感じだった。
「これが現実だ!」って具合に、腐ったディティールを端的にぶつけ続ける方が、作品としてブレがなく、威力があるのはわかるんだが、それ自体が目的化してしまうと結局「人間どうせこんなもん」「駄目なヤツは駄目」といった、自己完結した強がりやニヒリズム、或いは下を叩いて安心するような浅ましさしか生まない。
バブルこの方、村上龍の小説とか新人類世代以降のツッコミ専門サブカルライターみたいなものの蔓延で、そういうのには一度完全に食傷しているので、ここが結論だったらつまらないなと思ってたんだが、フリーター編のこの結末にはぐっと来た。
以前、パッチギの感想を色々読んで回ってた時に発見した、ちょっと素敵なレビューhttp://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=423955&id=772171で語られていた、
「要するに、この映画、実は在日問題・政治的プロパガンダや、人種差別や格差社会を追求するテーマに殉じる気はなく、むしろ、いろいろ難しい不利益や不運ばかりでも、家族や仲間で助け合って生きることが大切だという、柔らかな開き直りをみせたかったのだと思います。」
という結論に、近いものを感じた。
ネットでの評判を見ていると、きれいに纏めすぎっていう声も多いようだけど、例えボロを出しても「何が良いことか」を模索し、提示しようとする覚悟の無い議論や表現を、俺は不毛で無意味だと思う。
一人ひとりの個人ができること、選べることは確かに限られているし、社会変革は勿論重要だけれど、無いものねだりで足元見失っちゃうことは一番よくない。
ネタバレになりそうなので取り合えずこのくらいにしておきたいけど、単行本化の際は是非広く読まれて欲しいと思う。

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)

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