『悪名一番』(63年 大映)監督 田中徳三 脚本 依田義賢


日本映画専門チャンネルのシリーズ一挙放映にて。


第3作『新・悪名』と並んでシリーズ中最高傑作の双璧だと思う。『悪名』観てみたいけど数が多くて...という人がいたら、まずこの2本から観てください。


預けた金が戻って来ないと困っている人たちの頼みで、金融会社に掛け合いに行く朝吉と清次。ところが金融屋は、「ある社員が一億円の穴を開けて逃げたので払えない」と言い、「取り付け騒ぎを起こされたりすると、会社が潰れてみなさんにも金は戻らない」と開き直る。
2人は社員の実家がある東京へ向かい、金融屋の本社に談判に行くが、ネオン街で羽振りよく遊んでいる社長の安部徹と、仲間の新興やくざ名和宏たちに「委任状もないのに、代理人とは認められない」と、田舎ヤクザのたかり扱いであしらわれてしまう。
金融屋に利用されていた社員は、材木運搬業を営む昔気質のやくざの息子だったが、ここでも朝吉は「身内のことに上方やくざの手は借りねえ」と、拒絶される。


『新・悪名』と同じく、古風な情と任侠精神にこだわる朝吉親分と、法を盾に金に物を言わせて、やったもの勝ちやりたい放題な戦後やくざの対立を軸にした話。
最初は文芸映画的なテイストを残していた悪名も、作を重ねるにつれて行く先々の子悪党を朝吉、清次の凸凹コンビが懲らしめるという、荒唐無稽で肩のこらないパターンものの形が出来上がり、朝吉も段々素朴で人畜無害な熱血漢へとデフォルメが進んでいくが、時々この構図が正面から取り上げられると、俄然映画が引き締まる。


オリンピックに向かう好景気に湧く東京では、八尾の朝吉親分も田舎ヤクザあつかいだし、古き良き勧善懲悪ものの代表のようなイメージの悪名シリーズだが、情にもろい熱血漢の朝吉は、この時点で既に半分時代遅れなギャグキャラクターとして扱われている。
けれど、朝吉が東京で受ける仕打ちが、新時代に浮かれ期待しながらも、大切にしてきたものを失いつつある寂しさ、後ろめたさを引きずる観客の半面の郷愁を刺激して、ドラマの強力なフックになっている。
靖国神社で亡き戦友達を思い涙に暮れる朝吉に、「誰にそない申しわけながってるんです?」と無邪気に訊ねて逆鱗に振れてしまう清次も、最後は「二人とも無事やったら、また二人で靖国神社に行きましょな」と、泣かせるセリフを吐く。
そして、朝吉の侠気に感じた昔気質の親分は、組に代々伝わる印傳の羽織を朝吉に着せ、一同で祝いの木遣唄を歌い、2人も彼らの伝統と心意気に感動する(このシーン、まるで東映の『日本侠客伝』シリーズに二人がゲスト出演してるみたいでグッと来る)。


土地や時代を超えて通じ合う男たち(それも、グローバリズムとはまったく逆の意味で)。お話と言えばお話だけれど、二人の陽性のキャラクターとコミカルでテンポの良い演出で、却って純情がストレートに届く。
茶川一郎のオカマのおりんや、雁之助、小雁のニセ朝吉、清次など、すっかりおなじみになった脇の芸達者たちも楽しい。


勧善懲悪というと、今ではすっかり陳腐と短絡の見本みたいになってるけど、無力感やしたり顔に落とす「リアルな等身大」ってのにも、今では別の安易さと責任回避の腐臭が匂う。少なくとも自分は、丁寧に作られたカタルシスのあるドラマを、現在の映画で観てみたい。
「悪名一番」、舞台や設定はともかく、映画としては全然古くなっていない。