『オグラBOX』を推薦します

bakuhatugoro2006-09-23



はじめてオグラ君を見たのは、もう15年以上前の90年代前半。
今は亡き『シティロード』誌のデモテープ紹介コーナー「どっこい音自慢」に大学の後輩が取り上げられ、このコーナーの参加者が一堂に会した下北沢レッドホット(現在の251)でのイベントに出かけた時だった。
音楽ライターの田口史人氏によるこの企画、通常のライブハウスのブッキング枠に漏れてしまいがちな「クセ者」の発見、紹介に主眼を置き、後のOZディスクの原型になっただけあって、マッチョな風体で暴走ハードコアをナンセンス&ポップに聴かせる超絶技巧の知性派から、当時流行ってたグランジを和風に消化して聴かせるバンド、ヒッピー風のメッセージが武田鉄也的な押しの強さで迫ってくる80年代末期風フォークロックまでと、ジャンルや完成度に相当なバラつきのあるカオスな並びだったが、歌もの好きな自分の好みを差し引いてもオグラ君率いる800ランプの印象は圧倒的だった。
三拍子にシャンソンや童謡のようなメロディを乗せ、現代詩風の言葉が歌われる。友部正人の影響を強く感じさせるが、それが「為にする」スタイルじゃなく、確実に青春的なパッションと鋭さがあり、ファンやフォロワーの域を完全に超えている。神経質な猫のような彼自身の佇まい、ヨーロッパの吟遊詩人か浮浪者かというちょっと浮世離れした身なりと相まって、完全にオリジナルな一つの「世界」が確かにその場に存在していた(敢えてベタな例をあげれば、ブルーハーツの頃のマーシーや、初期の草野マサムネを更にスタイリッシュに、鋭角的にしたイメージを思い浮かべてもらえれば、かなり当時の彼に近いものになると思う)。
電車の旅を、風景と心象を交差させながら延々20分近くにまとめた大曲なんてのもあり、しかもそれをまったくダレることなく聴かせる「世界」の密度に、当時まだ己の資質に自信も諦めも共につかず、無いものねだりに振り回されて右往左往していた自分は、「これが才能というものか...」と圧倒された。



それから7、8年。高円寺に住むようになって知り合った近所のバンドマン友達連中に誘われて、駅南口近くの公園で飲んでいた阿波踊りの夜、彼らからオグラ君を紹介された。
例のライブでのアーティスト然としたイメージが強く残っていたので、正直ちょっと緊張したが、予想に反して気さくで人懐っこい人だった。昔観たライブの印象を話すと素直に喜んでくれて、以来ちょくちょくライブや呑みに誘われるようになった。
久しぶりに観た800ランプは、独特のオリジナルなスタイルをまったく変えることなく貫いていたけれど、それだけに初めて観た時のような驚きはなかった。中央線〜武蔵野詩人的なイメージが、URC周辺アーティストの度重なる再発の影響もあってある程度ロック好きの間に定着し、それ自体が新鮮なものではなくなったことなど状況の変化のせいもあったかもしれないし、俺自身が音楽にも人間にも多少擦れてしまっていたせいかもしれない。
自分達の世代にとってロックは唯の音楽ジャンルではなく、自分が自分であることの存在証明であり、しかもその「自分」は月並みな安定などしようがない、あらかじめ選ばれた者でなければならず、後天的な訓練で学べるものなどは副次的で素の資質のキレ味の前にはほとんど意味が無い、といった生き方を丸ごと呪縛する不自由で排他的な「信仰」そのものだった。
ことに早い段階で青春詩人として完成度の高い世界を作り上げ、それによって一定の評価も得ていた彼は、音楽に限らずなまなかなものからは影響を受けようとしない(俺は彼がTシャツやジーパン、スニーカーを履いているところを一度も見たことがない)。
しかし、当時のライブハウスシーンはスカやメロコアブームの影響もあって、大きな世代交代の渦中だったし、「フォーキー」と言われる音楽も流行っていたけれど、いずれにせよ彼ら若い世代のカジュアル、あるいはマニアックな音楽ファン体質や、それを媒介にした仲間意識に呼応できないタイプの年長バンドは苦戦を強いられていた。特にストレートな「自己表現」や気負ったキャラクター作りというのが最も古臭く、「アウトオブデイト」なものになっている気配があり、オグラ君にとってはかなり苦しい状況だったと思う。



また、詳しい内情は計り知れないけれど、オグラ君のあまりにもオリジナルな作風のため、様々なジャンル出身のプレイヤーに事細かな指示を出しつつ成立していた、彼を中心にした雑多な寄り合い所帯だった800ランプの内部でも、微妙な軋みが生じているように感じられた。若い才気に新鮮さと羨望が集まっている間はそれだけでまとまっていたものが、オリジナリティゆえに深化や円熟の途を見つけにくく、また活動の展望も決して明るくはない状態の中で、音楽的にも人間関係的にも煮つまり始めているように見えた。
彼自身の口からメンバーに対する不満は唯の一度も聞いたことが無いけれど、そのかわり一緒に飲む毎に、自由人、アーティストの立場からする庶民批判的なものを聞かされ、それがあまりにも大雑把でひとりよがりなものに感じられて、資質や立場の違う人間の生き方に対する想像力が欠けてるんじゃないかと、言わずもがなの正論を投げ返してしまったりしていた。それでも彼らの活動自体は応援したくて、商業誌にアルバムレビューをねじ込んだりもしたのだが、掘り下げたことを書こうとすると、現実との手がかりを失ったオグラ君の苦しい空周りに触れないわけにはいかず、どうしても厳しい文章になってしまって困った。
しかし彼は嫌な顔ひとつせず、むしろ彼のジレンマの根っこに触れる文章を喜んでくれた。
俺はそうした反応に慣れていなかったし、正直彼との関係の悪化さえ覚悟していたので、彼の根っこの誠実さにあらためて触れた気がして嬉しかった。



そしてほどなく、彼は800ランプの活動を休止し、自作の「手廻しオルガン」を作り始めた。
いきなり「手廻しオルガン」というところに、相変わらずのオリジナリティとイメージの飛躍を感じたし、ライブハウスに限らず、小さなBARやイベントスペースなど独自の場所を開拓して自分でブッキングもすることで、仲間や状況への依存心を切り捨てた身軽さを身につけた彼の歌は、一気に鮮度を取り戻して行った。
レパートリー自体は旧作も多く、歌われる内容は相変わらず、自由や自分らしさへと突き進んだ結果、世の中との関わりの手がかりを失いがちな自身の葛藤が中心だけれど、それも年季を重ねると開き直った味のようなものが出てくる。ポーズを超えた「いかんともしがたい」存在感にリアリティがやどりはじめ、彼の最大の強みである言葉のふくらみが、直進しようのない停滞を横へとずらす。
そして、彼の中に残る青いパッションは、雰囲気とスタイルだけが飽和した、強い歌と自我が欠けた現在のシーンの中で、再び異彩を放ち始めている。
そんな彼の現在がそのまま真空パックされているこの3枚組CDボックス(何と2500円!)、いかんともしがたく「大人」になりきれないまま、かといって現在の無邪気で微温的な音楽シーンに満足できない同世代には、特に聴かれてほしいと思う。



オグラBOX 3枚組

オグラBOX 3枚組

高田渡「系図」トリビュート

高田渡「系図」トリビュート



10/13(金)「オグラBOX3枚組」レコ発ワンマン 〜オグラの出産〜



下北沢CLUB QUE 03-3412-9979
開場18:30〜開演19:00〜
前¥2500(チケぴ、ローソン)
当¥2800
出演:オグラ&ナンザンズ
ゲスト:リリー・フランキー
http://www.lilyfranky.com/reg/reg08/