翼なき野郎ども


日曜日深夜、友人達のDJイベントに参加。
その後、例によって翌日夕方まで呑み続けてしまったんだが、そこへ急に彼らとも共通の知人である女子から電話。
確か以前日記でも書いたことのある、造形作家の彼女だ。
ハングリーで誇り高く、孤独癖のあるヤツなので、ある程度距離が近づいちゃうとなかなか程よく馴れ合うような付き合いになりにくく、本当に数ヶ月に一度くらい、お互い行きつけの飲み屋でばったりと顔を合わせるくらいなんだけど、根っこの資質(幼少期に骨の髄まで刻まれてしまった『あしたのジョー』的孤独のヒロイズム)が響きあって、以心伝心、たちまち本質的な話(要するに、お互いの仕事が絡んだ本音の自己認識トーク)になる。したがって話がヘビーになり、どんよりしてきちゃうこともしばしば。でも、とても良い刺激になる。世の表層には見えなくても、こういう孤独な戦いをしている人間達は、確実にいるんだよね。
しかし、おかげで結局帰りは月曜の終電...



これが男の子同士になると、関係が苛烈になるし、難しい。
お互いに資質を共有している人間ほど、強く響きあってるだけに距離を詰めると、相容れない部分が許せなくもなりがちなのだ。
だけど、傍目にみていると、彼らは他の誰よりも、強く結ばれた本質的な友人であり、ライバルなのだ。
矢吹丈と、力石徹のように(なんて現実の人間を形容すると、いくら何でも格好よすぎるが、ニュアンスはわかってもらえると思う)。



あと、今回は現在の音楽の趣味、嗜好や、表面的なキャラクターからほとんど接点がなかった人と、お互いの音楽遍歴についての雑談から、一気に深く話し合えたのが楽しかった。
彼はお洒落なジャズファンク好き、そしてストレートな女好きなんだけど、同世代、まだ、王道のロックや黒人音楽さえ、地方では手に入りにくかった時代に、ほとんど強制的、強迫観念的にそれらを勉強し、絶対的な評価があるものと自分の資質との間に葛藤が起ったり、そこからだんだん距離を取って自分の個性を肯定し、独自の路線に進む過程や、一方、ああした遍歴がなければ、一見では到底理解できなかった音楽も多い、ってな現在も自分の方向と状況との関係に意識的な人間同士の、同世代体験な話。



そして、この話が一気に深まるきっかけになったのが、ある日本のフォーク、ロック歌手のファンだったこと。
彼は、しみったれてて音楽的に浅いフォークは全般的に嫌い、楽しい音楽が好きと言ってはばからないが、この人だけは別だと言う。俺はこの人が、特に音楽的な資質に突出して恵まれているとは思わないけれど、いわゆる日本のフォークの人の多くにみられる、田舎者的な厚顔さ、あつかましさや、もう一方でありがちなアングラサブカル的な狭い意味での表現至上主義みたいなところのない、地に足が付きつつ、センシティブさをシャイな偽悪にくるんでいるようなところが好きだった。
「音楽は自由」なんて、無責任を正当化した自己完結に引きこもることなく、自分の感情や言動と正面からつきあう姿勢を手放さない姿勢が好きだった。そんな真面目さが、無責任が放埓な魅力と裏表になり、直結しているような音楽(ことにロック)の世界では、ちょっと悲しいところも含めて。
音楽は意味から自由な分、包容力のある表現形態だけど、どこかで意味の方向付けやキャラクターと一体になったロックは、自由と意味の間でどちらを本当に突き詰め、引き受けることも無く、自己正当化と甘えた思考停止に陥ることが、結局ほとんどと言っていい。

なんであいつを悪いと決めた
誰があの娘をあわれと決めた
どうしてあいつをえらばせた
あとさきも考えずに



肩の荷をおろすために
無関心になるのが一番と
じゃり道よりもアスファルト
わずかひとりが生きのこるため



知らない仲でもあるまいし
ときおりのぞく欲望が
誰かにつられてあばれだし
時代錯誤の仇討ち合戦



それほどにくい相手なら
ひと思いに殺ればいい
残るものが なんであれ
それが真理と思うなら



ですぎたマネはしませんが
とてもひとりじゃ生きられません
どっちつかずのひきょう者でも
愛することはわすれません
(行きずりのブルース)

今も、日本のロックは(いや、本当は日本に限らない)、ここで彼が歌っているような二律背反を、直視し、葛藤を引き受けることさえ、まったくできていないと思う。その理由は、先日「たけしとジブリ」で書いた事情とそのまま被る。

たまに無理してぜいたくしてみる
フトコロをきにしながらだけどね
心から楽しめない
仕事のことばかり気になるから
朝仕事場に来た時
あいつの目を一番気にする
あいつしだいだもんな
おこられたくないから



今度金が入ったらもう一度マネしてみよう
いい思いしている人の
見せかけでもいいから



街は ぱれえどさ
街は ぱれえどさ
だけど誰も 誰もさそいにこない
(街はぱれえど)




あまりにも君の遠くを愛した僕は
なかなか素直になれなくて ただ流れを見ているだけ
そうなんだよ君はいつも僕のうしろに居る
君のそばにいるのは僕じゃなくて僕の影なのさ
大地の下から空に向かって光を追うように草は伸びる
見てみなよ 僕らに似合う景色がない



わかっているよ君がまじめだということは
だけど僕を見てればわかるだろう 僕は無理に笑っている
いつだって君は気に入られたいんだろう
僕だって同じだから一緒に歩けない
大地の下から空に向かって光を追うように草は伸びる
見てみなよ 僕らに似合う景色がない
(遥かなる人)




誘いにのるかと誘いにのって
今日も覚える損と得
誘いにのるかと誘いにのって
今日も覚える損と得



見張り塔から無責任に
コトを煽るはなまけ者
その手にのるかとその手にのって
今日もはじまるめくら撃ち
その手にのるかとその手にのって
今日もはじまるめくら撃ち



ぼくのおなかを切り裂いてみたら
数え切れない他人がこぼれ
許してなるかと許してしまい
今日もくるくるラッパ吹き
許してなるかと許してしまい
今日もくるくるラッパ吹き
(暗闇街丑松通)




ぼくらはぼくらと呼べるほど深いつながりはなく
許しあえるほど わかちあえず
ひとりの自由を楽しみながら なげいている



ぼくらは強いものをいやがり
強く生きたいと思い
他人のことばに耳をかし その場はうなずくがまた
ひとりにもどる



いくどとなくくりかえす
よせてはかえす



ぼくらはぼくらに甘え 外に出ずカラをつくり
わずかなひたいをよせあって
かじをとりあいとりあい生きている



ぼくらはいつも答えを出さず弱いものでとどまり
にげることだけをおぼえて
たまのステーキによだれをたらす
(よせてはかえす)

こうした歌は、いつもつぶやくようなフォークや、柔らかく包容力のあるアメリカンロックにのせて、「さりげなく」表現されていた。
かつて80年代の頭くらいだったか、ニューイヤーロックフェスティバルで、彼の代表曲をたけしが歌っていたことがあるんだけど、誰かビデオに録画されてる方、いらっしゃいませんか?