『フェスティバル・エクスプレス』


その後、「かつて若き獅子たちが駆け抜けた昭和の面影はどこにもない」渋谷に移動し、シネセゾンで『フェスティバルエクスプレス』をようやく観る。
しかしジャニスの映画を公開後今までずっと観ずにいたとは、昔の俺からは想像もできない体たらく。
「フェスティバルエクスプレス」でのジャニスはデビッド・ドルトンによる有名なドキュメント本『ジャニス ブルースに死す』でも詳細に描写されていて、デラニー&ボニーとのぶっちゃけトークをナマで見られるかととても楽しみだったんだが、結局オフステージのジャニスのシーンはリック・ダンコ、ガルシアとのセッションのみ。
巷で随分評判のいい演奏シーンも、既に自伝映画『ジャニス』に収録されてるものだし、この時期のジャニスは(あれでも)やや声量衰え、体調不良が肌のコンディションにも現われていて、決して万全の状態じゃない(評判になってるその他出演ミュージシャンたちによる車内セッションも、ディープなアメリカンロックマニアでない俺には、酒とクスリの魔法が疲れと荒みに変わり行く時期の、熱を失った冗長さと荒っぽさが目だってやや色あせて見えたし、反体制の時流にかぶれて調子付いた若者の妨害に対しての主催者の苦労話なんかもどうでもよかった。ただ、そういうフライングや自己懐疑のダイナミズムを失った現在のロックやフェスもまた、俺には「はみ出し者」に居場所の無い、無意識に排他的な健全さに覆われたツマラナイものなのだが...)。
けれど、演奏の前後、ステージ上でスタッフの労をねぎらシーンなど、彼女の(荒っぽさで照れ隠しした)暖かさ、優しさと聡明さが垣間見れたのはとてもよかった。
自閉症的天然のリック・ダンコのはしゃぎぶりを楽しそうに愛しむ表情や、「ジャニス愛してる。はじめてあった時からずっと」というガルシアの告白を「また嘘ばっかり」とさりげなくいなすクールな優しさ(それが思いのほか純情繊細な表情を見せる若きガルシアの風情とあいまってとてもいい)。繊細さから生まれた優しさが、おおらかな許容として機能できた、ジャニスにとっても本当に羽が伸ばせた旅だったんだな、と嬉しくなった。


しかしジャニス、今見ても、というか今見れば尚更、思いの純度が高すぎて、見ていて切なくなってしまう。
こうした純度の高い「素直さ」は、さっさと現実に追従することを正当化する弱き凡人達から不当な揶揄をあびがちなものだ。
孤独の陰影によって曲がり閉じ濁ることがないばかりか、より優しさと深さを増すジャニスの魂を俺は断固正しいと思うけど、やはり清涼すぎる魂は汚れた水の中では生き難いことは事実。
美しすぎて生きられなかったジャニスが「ロックの伝説」として生き続けるのは、そのこと自体甘えとも感傷とも無関係だけど、悲しい必然ではあったと、彼女を毎日聴き続けられるほど人間を(自分も含めて)楽観できなくなった今は感じている。
そして勿論、ダメなのは人間一般、そして俺の方なのだ。


ジャニス ブルースに死す

ジャニス ブルースに死す